豊田市松平町の松平城址は徳川の前身・松平氏の初代当主である松平親氏が松平郷に築いた城です。別名を郷敷城といい、松平郷を守る入口にある松平太郎左衛門家の居城です。
駐車場
松平城は車で訪れるのが便利です。国道301号線沿いに駐車場があります。松平郷の駐車場ですが松平城址に行くときもこの駐車場を利用できるとのこと。駐車場から徒歩5分ほどで松平城址の入口に着きます。
それでは城内へ
松平城址の入口。石碑と看板が建っています。
郷敷城と称する。応永(1394~1427)のころ、松平(徳川)氏の始祖親氏の築城と伝わる。松平氏館跡の南東五百メートルお城山と呼ばれている標高298メートルの山頂に位置し、本丸は約6アール、西北部山腹に二の丸、その下段に三の丸跡がみられる。
西部の他は全て急峻な斜面で、本丸部の下方約15メートルの山腹に南、東、北の三方にわたり幅3~5メートルの空堀が約二百メートル残っていて、不時の敵襲に対する室町時代の典型的な山城である。文禄年間(1592~95)のころに破却といわれているが明らかではない。
昭和六一年三月 松平親氏公顕彰会
現地案内看板に記載されている松平城址の縄張図。これを見るとシンプルな縄張りに見えますが、それぞれ城内の道が側面攻撃できる様、不規則に曲輪が並んでいます。
松平城址の曲輪は狭く、帯曲輪みたいな二の丸を越えて石碑がある本丸へと移動します。松平親氏の時代なら攻め込まれても数百の敵兵なので、十分に守りきれる山城なのでしょう。
松平城址の井戸跡は本丸の下に隠れる様に配置されています。日が当たらないのでシダ植物が群生するくらい、ひっそりとした場所です。籠城する時は水が必須なので城の中でも奥まった場所にありました。
櫓台の看板が建っている曲輪は城内の先端部分にあります。ここのポイントは一番先まで進んでみるということ。
櫓台の下を見ると現在の国道301号線が見えます。そのまま下れば林添城を過ぎ大給城そして岡崎の岩津城へ向かう街道。逆に登れば根引峠(ねびきとうげ)を越え大沼(旧下山村)、そして奥平氏の居城・亀山城址があった作手に行くことができます。その交通の要所を押さえていたのが松平城です。
私の感想ですが、松平城はこじんまりとした山城ですが中世の山城の様子を楽しめる城だと思いました。所要時間は30分ほど近くの山城や松平郷とセットで訪れてみてください。