豊田市松平町にある松平郷(まつだいらごう)は、徳川氏の前身・松平氏発祥の地です。
日本の歴史で有名な徳川家康。彼はもともと松平という姓(名字)だったのです。つまり松平さん。(※家康の父は松平広忠で、祖父は松平清康といいました)
家康は松平氏の第九代目当主。松平郷は初代・親氏(ちかうじ)が勢力拡大の拠点にした場所です。
■松平郷の場所の住所■
豊田市松平町赤原9-1
なぜここが発祥の地?
有力な説によると、弘安年間(1278~1287) の頃、京都の公家・在原信盛(ありわら のぶもり)がこの地にやってきて、松平郷を開拓したといわれています。
後に諸国を旅していた僧・徳阿弥(とくあみ)がこの地を訪れ、信盛の子・信重の末娘と結婚し、還俗して松平親氏(ちかうじ)と名乗り、家を継ぐことになりました。
この人が松平氏の初代です。
その後、松平氏は代を重ねる度に勢力を拡大していき、七代目・清康の時には三河国をほぼ統一し、その後一時衰退しましたが、九代目・家康が江戸幕府を開きました。
松平郷のアクセス
松平郷への行き方の一例を説明します。まずは電車とバス編。電車とバスでアクセスする時は、まずは電車で豊田市駅を目指します。
そこでおいでんバス・大沼行きに乗り、約40分ほどで松平郷バス停に着くので、そこから歩いて移動します。
次に車でのアクセス方法ですが、カーナビで松平郷と検索すると出てくると思います。
ロードマップでアクセスする場合は、松平郷の場所の住所をチェックしてから行きましょう。
■松平郷の場所の住所■
豊田市松平町赤原9-1
次に松平郷の駐車場について。松平郷にはいくつかの無料駐車場が完備されています。何かの祭りやイベントの時を除き、よほど駐車できると思います。
ちなみに私はもう、何十回も松平郷に行った経験があるのですが、未だに駐車場が満車で駐車できなかったという体験はありません。
松平郷の見どころ
それでは駐車場に車を停めて松平郷を散策してみましょう。散策の方法というか順路ですが、一般的には駐車場から坂を登って行き、松平氏の菩提寺・高月院(こうげついん)を目指します。
【松平東照宮】
駐車場に近い松平東照宮。この場所はもともと領主の館があった場所です。だから在原氏も松平親氏もここに住んでいたということですね。
現在では東照宮のほか、松平氏の歴史を知ることができる資料館(入館無料)、そして徳川家康が生まれた時に産湯に使う水を汲んだといわれる産湯井戸などがあります。
【松平郷亭】
松平東照宮の隣にある無料休憩所です。中には20人くらいが座ることができるイスやトイレがあります。
以前、私が講師を務める愛知県西尾市教育委員会主催のオープンカレッジで、バスを使った見学会があり松平郷を訪れたのですが、その時に昼食(弁当)をこの施設で食べさせて頂きました。
【松平親氏の銅像】
松平東照宮を過ぎて坂を上っていくと、右手に銅像が見えます。実はこの人が松平氏初代・親氏さんです。
系図を見るとこの様な関係。ここで注意したいのは、松平氏の宗家(本家)は二代・泰親までは松平郷を拠点としていた太郎左衛門家だったのに三代目・信光の時に宗家が変わっているということです。
近くで見ると…
ヨーロッパ人みたいな顔をしております。この銅像の作者は日本芸術院会員・長江録弥氏。 (平成5年10月31除幕)
ちなみに資料館に松平親氏の木造があるのですが、銅像とはかなりのギャップがあります。
【天下茶屋】
松平郷唯一の飲食店が天下茶屋です。うどん、そばなど軽食メニューが中心で、天下もちなどの甘物もあります。
【高月院】
そして松平郷散策の目的地ともいえる高月院。松平氏の菩提寺です。山門と本堂は三代将軍・徳川家光寄進のものと伝わっています。
ここには松平親氏、二代・泰親、そして四代親忠婦人の墓があります。
松平郷の御朱印
松平郷では2つの御朱印を受けることができます。一つは松平東照宮。もうひとつは高月院です。共に個性的な御朱印ですが、共通しているのは三つ葉葵紋が入っている点ですね。御朱印帳も販売しています。
所要時間と私の感想
松平郷の所要時間と私の感想です。
まず所要時間ですが、駐車場からスタートし、今回紹介した松平東照宮、松平親氏銅像、高月院を巡るとすると、早くて1時間、ジックリ巡って2時間くらいだと思います。
この他にも在原家墓所、松平太郎左衛門家墓所、そして展望テラスなどを追加すると、所要時間はもう+1時間くらいは必要になるでしょう。
そして私の感想ですが、松平郷は近くにある松平城そして大給城などとセットにすると半日はジックリと過ごすことができます。
また御朱印を集めている人は、東照宮と高月院2カ所のチェックもお忘れなく!