豊田市の三河寺部城址は、徳川家康(松平元康)の初陣の城であり、後に尾張藩付家老となり、徳川十六神将の一人に数えられている渡辺守綱の寺部陣屋がある場所です。
寺部城の歴史を簡単に説明すると、戦国時代、この地を治めていた鈴木氏の居城で、鈴木氏は今川氏に属しますが、後に織田氏に属したため今川氏から攻められることになります。
この時、今川軍として攻め込んだのが松平元康(後の徳川家康)です。
その後、鈴木氏は滅び、寺部城は一度廃城になった様ですが、江戸時代になり、渡辺守綱が寺部城のあった場所に陣屋を築き、それ以後、渡辺氏がこの地を治めました。
ちなみに同じ三河の西尾市にもうひとつ寺部城がありますが、そちらは幡豆寺部城をチェックしてみてください。
■寺部城の場所の住所■
豊田市寺部町1丁目
かつての陣屋内
現在は寺部陣屋があった公園みたいになっており、寺部城時代の遺構は非常に少ないのですが、陣屋公園の西側ある土塁が寺部城時代の遺構といわれています。
そういえば、石碑が建っている場所を裏から見ると、土塁もしくは櫓台の様な土盛になっている事が分かります。
寺部陣屋跡には三か所の井戸跡が残っています。ここまで自噴の井戸があるという事は、水が豊富な土地だったのでしょう。
こちらは土蔵跡。寺部陣屋跡には、このような土蔵や書院の跡がいくつか残っています。こういった建物の跡って、もし寺部陣屋を復元する時、かなり役立つと思いました。
守綱神社
陣屋の隣にある守綱神社。初代藩主で槍の半蔵こと渡辺守綱を祭った神社です。現在は陣屋の隣ですが、かつてはここも陣屋の一部だった様です。
徳川家康や本多忠勝も現在では神として祭られていますが、守綱も神社があったとは驚きです。
守綱寺
寺部陣屋の主である、渡辺家の菩提寺・守綱寺(しゅこうじ)。渡辺氏の代々の墓があります。現在では史跡にもなっている寺です。
私の感想
私の寺部陣屋(寺部城址)の感想ですが、ここは戦国時代の城跡であり、江戸時代の陣屋跡ということで、非常に重要な地だと思いました。
なぜかというと、普通、城が廃城になるとそのまま放置という事も多いのですが、ここには江戸時代陣屋が築かれているということは、米も取れるし村もあるし、政治も行いやすかった場所だからなのでしょう。
ちなみにこの寺部陣屋の西に矢作川があるのですが、そのすぐ側に拳母藩がありました。
また現在の寺部町は、道が細いところもあるので、車で訪れる際には注意したいですね。