徳川四天王のひとり、榊原康政は現在の豊田市上郷(かみごう)町の出身と云われている戦国武将です。つまり旧上郷村出身ということですね。
令和五年(2023)NHK大河ドラマ・どうする家康では、俳優の杉野遥亮(ようすけ)さんが榊原康政を演じることになり話題になりました。
ところで現在、豊田市上郷町には2つの榊原康政生誕地の石碑があります。なぜ2つの石碑があるのか?そしてどちらが本物の榊原康政が生まれた場所の石碑なのか?この記事で詳しく説明してみます。
上野上村城跡
まずひとつめの榊原康政生誕地の石碑は上野城(上野上村城)跡に建立されています。上野城は一説には文安年間(1444~49)に戸田宗光が築城した城といわれ、戸田氏が渥美郡(田原城がある渥美半島)に移った後、阿部氏、桜井松平氏と城主が代わり、永禄六年(1563)の三河一向一揆の時には一揆勢として酒井忠尚が城主となっています。
その後、石川家成に攻め落とされ、酒井忠尚は駿河へ逃亡。上野上村城は家康により、『上野七人衆』と呼ばれる在藩衆が置かれました。
■上野城の住所■
豊田市上郷町薮間17−8
アクセス方法
上野城への行き方を説明します。まず電車でアクセスする場合、最寄り駅である愛知環状鉄道・三河上郷駅を目指します。三河上郷駅に着いたら後は徒歩で移動しますが、距離は約600mなので所要時間は約7~8分程です。
車での行き方ですが、上郷護国神社を目指して行けばわかりやすいと思います。近くには豊田市立上郷中学校などがあります。
ちょいと城巡り
せっかく来たのでちょいと城巡りw まず現地には浅野文庫蔵諸国古城之図を写した看板があります。これを見るとかつては北~東にかけて深田(湿地帯)が伸びていた様です。周辺には馬場砦、築地砦、広畔砦、三角砦、高根砦、溝先砦などが描かれています。
また池鯉鮒(知立市)、挙母、伊保(共に豊田市)への街道が西側を通っていたこともわかりますね。
上野城の遺構は社(やしろ)が建立されている高台のみです。浅野文庫蔵諸国古城之図を見ると櫓台みたいな黒い塗りつぶしがありますが、それがこの高い台です。
隣の護国神社にある上野城跡無縁佛供養塔。歴史を見ると上野城は何度も城攻めに遭っているので多くの人が亡くなったのでしょう。
北側の遠景。浅野文庫蔵諸国古城之図では深田(湿地帯)になっていますが、今でも水田が広がっています。
もうひとつの石碑は天道院前
もうひとつの石碑は天道院という寺院の前にあります。わかりにくい場所ですが向かいに八幡宮(神社)があり、石碑の前は墓地です。
もとあった場所はここ
天道院前にある榊原康政生誕地の石碑は大正六年(1917)に作られたもので、もとは現在の豊田市上郷町会下山にありました。
この地は榊原康政の祖父・榊原清長が城主だった上野下村城がありました。明治初年頃までは会下山といって小山があり、城の遺構らしきもの(土塁)もあったそうですが、昭和になり軍隊用地となり、採石・採土により山は削られてしまいました。
本物はどちら?
豊田市上郷町にある2つの榊原康政生誕地の石碑ですが、場所が離れており、どちらが本物の生誕地なのか?という疑問が出てきます。これは結論から言うと、この2つの石碑はピンポイントの生誕地の場所を示したものではなく、榊原康政は豊田市上郷町(旧上郷村)の出身ということ。
つまり榊原康政はどこで生まれたのか?というピンポイントの場所は分からないのだけれど、出身は現在の豊田市上郷町(旧上郷村)だよという意味です。
ちなみに2つの石碑は同じ上郷町内にあるので約450mしか離れていません。徒歩での所要時間だと5~6分なので2つまとめて巡ってみることをオススメします。
私の感想ですが、この2つの榊原康政生誕地の石碑は上野城(上野上村城)とセットで行けるので城巡りがてら立ち寄りたい場所だと思いました。令和五年(2023)NHK大河ドラマ・どうする家康では、俳優の杉野遥亮(ようすけ)さんが榊原康政役なので、ファンの方も訪れると思います。