豊田市則定椎城は遺構がよく分かり巡りやすいおすすめの山城!

豊田市則定(のりさだ)町に残る則定椎(のりさだ しい)城は戦国時代にこの地に勢力を持っていた鈴木氏の居城です。三河国二葉松には鈴木十内という人物が城主として記されています。私的にはこの則定椎城は山城好きの方におすすめです。その理由は遺構が分かりやすく比較的登りやすいからです。

>>則定椎城の地図

目標は則定小学校

則定椎城へのアクセスを説明します。まず目指すは豊田市立則定小学校です。ここの脇道みたいなところから城に登って行きます。専用の駐車場はありませんが、近くのコミュニティセンターが駐車可とのこと。

そのまま登ると鈴木正三史跡公園の石碑を通り公園まで行きます。そこから山城に登ります。

イキナリ衝撃の堀切

そのまま登って15分くらいでしょうか。城跡に着きますが、いきなり堀切がど~んと残っています。つまり堀切の中から城内に入るわけです。

◆堀切とは
尾根を遮断した堀のこと。これにより尾根沿いからの敵の侵入を防ぐことができる。

城主の墓

堀切を抜けると二の丸に向いますが、その前に城主・鈴木重氏の墓があります。この人物は詳細が分かっていません。

そしてまた堀切です。最初の堀切に比べ浅いですが、今でも目視できるくらいにハッキリと分かります。

狙い撃ちがえげつない

2つめの堀切を抜けると腰曲輪を通り先に進む道がありますが、ここが上の本丸から丸見えで、常に本丸から射撃されながら進むという、えげつない仕掛けになっております。

では直接本丸めがけてよじ登れば?と思いがちですが、斜面は切岸(きりぎし)といって、人工的に角度をつけた斜面になっており、かなり登りにくいです。もちろん本丸も柵などがあって簡単には登らせない工夫もしてあったのでしょう。

そして本丸

本丸は削平地になっており看板もあります。

椎城跡

 この椎城は、則定村古屋敷ともいわれた山城です。江戸時代の書物には、鈴木十内が居住したと書かれており、二の丸には『当椎城主鈴木重氏墳』と彫られた墓石もありますが、二人ともどういう人か分かりません。また、この城をいつ、だれが築いたのかも分かりません。この椎城は則定村古屋敷ともいうように、戦争のときに陣地として使用しただけではなく、日常居住していた城をも思われます。なお山麓の則定小学校にも、居館があったものと考えられています。

私の感想

私の則定椎城の感想ですが、シンプルな縄張りですが攻めにくさを実感出来るので楽しく巡ることができる山城のひとつです。則定町には他にも2つ城跡があるので、そことセットにしてもよいですし、場所的に足助城に行くときにセットにしやすいと思います。

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