松平親氏が領民のために架けたといわれる豊田市林添町の伝親氏石橋の場所と感想

豊田市林添(はやしぞれ)町の伝親氏石橋(でん ちかうじ いしばし)は、徳川家康の先祖である松平親氏が領民のために架けた橋といわれています。

松平親氏とは誰?

松平親氏(まつだいら ちかうじ)とは、現在の豊田市松平郷で発祥した松平家の初代当主。もともとは僧侶でしたが、この地に勢力を持っていた土豪・在原氏に入り婿し還俗して武士になりました。この親氏が初代当主で江戸幕府を開いた徳川家康は松平氏の九代目当主です。

アクセス方法

親氏石橋へのアクセス方法です。まず林添町の晴暗寺の側を国道301号線が通っています。南(豊田市街)に行くと旧道が脇にありますが、その川沿いに親氏石橋があります。

そして現地

現地には松平親氏公顕彰会の看板があります。

伝親氏石橋 林添町日岸田

 此の石橋は長さ四.八メートル、幅一.八メートル、厚さ〇.七メートルで、徳川家の始祖松平親氏が架設したと伝わっている、大久保彦左衛門の『三河物語』に親氏は『領内の人馬の安穏のために、狭き道をひろげ、出たる石をば堀捨て、橋をかけ道を作り』とある。応永の頃(1394~1427)といわれている親氏松平入郷当時の働きが偲ばれる。

 松平氏ゆかりの晴暗寺がこれより東北二〇〇メートルに在る。地元では『小太郎橋』、『殿様橋』とも言われている。

昭和六十二年三月 松平親氏公顕彰会

地元に伝わる親氏の働き

松平親氏の記録は多くありませんが共通点がいくつかあります。地元松平郷の親氏銅像の台座には次の様な親氏の説明があります。

兵農未分離の時代、親氏は、二十四の道具を従者に持たせて領内を巡視し、道路を開き飢え凍える者を助けた。

親氏は僧侶から還俗し武士になった人物と伝わります。林添城の薮田源吾はじめ松平郷近隣の豪族を切り従え勢力を拡大した武将というイメージが強い。でもそれと同時に領内の内政、とくに街道整備や新田開発といった土木も行い、領民を飢えから救ったことがわかります。

私の感想

私の親氏石橋の感想ですが、松平氏初代・親氏の数少ない史跡なので貴重だと思いました。そして親氏の善政の史跡でもあります。松平氏が好きな方、また松平氏の研究をされている方も是非、訪れてみてほしいと思います。

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