戸田宗光が築き一向一揆で酒井忠尚が籠もった豊田市三河上野上村城址

豊田市上郷町に残る上野上村城跡は応仁年間(1467~69)に戸田宗光によって築かれた城で、永禄六年(1563)の三河一向一揆では一揆方の大将・酒井忠尚が立て籠もった城です。

歴史を見ると何度も落城している上野城。現在では豊田市上郷区民会館が建っていますが、城の遺構もチラホラ残っています。この記事で上野城の見どころポイントをチェックしておきましょう。

■上野上村城の住所■

豊田市上郷町薮間17−1

>>上野上村城の地図

電車と車での行き方

上野上村城への行き方を説明します。まずは電車編。電車で上野上村城へアクセスする時は最寄り駅である愛知環状鉄道(愛環)の三河上郷駅を目指します。ここから徒歩での所要時間はゆっくり歩いて10分くらいです。

次に車でアクセスする時は上野上村城址がある豊田市上郷区民会館を目指します。施設の駐車場に車を止めて散策する事ができます。

看板をチェック!

上野上村城址に着いたらまずは現地案内看板をチェックしましょう。その理由は看板に江戸時代の上野上村城址の古地図があるからです。これは広島県中央図書館所蔵の浅野文庫蔵諸国古城之図(あさのぶんこぞう しょこくこじょうのず)。江戸時代の絵図で当時の様子がよくわかります。

2つの櫓台

上野上村城址の本丸部分を見てみます。すると櫓台みたいな■は2つあることがわかります。まずは南側の櫓台をチェック。

ここには現在、城山稲荷社が建立されており、上郷区民間から見ると高台になっています。その頂上に稲荷社があります。廃城になって数百年経過していますが、今でも周辺を見渡す事ができる高台です。この高低差は重要です。

もうひとつの櫓台と考えられる高台は区民館隣の護国神社にあります。ここには太平洋戦争の忠魂碑が建立されていますが、よく見てみると土盛りになっています。櫓台を削って忠魂碑を建立したのかもしれません。

供養塔

護国神社脇には上野城跡無縁佛供養塔があります。上野城の歴史を見てみると記録に残るだけで数回落城しているので、その度に討ち死にして亡くなった方が多くいたのでしょう。その供養塔です。

そして街道

浅野文庫蔵諸国古城之図にある上野上村城址周辺には街道がいくつか通っています。

  • 岡崎口(岡崎城方面への街道)
  • 池鯉鮒(知立市)方面への街道
  • 挙母(ころも:豊田市中心部)、伊保(豊田市伊保町)への街道

ここから分かることは、当時の上野上村城は交通の要所だったということです。これらの街道を軍が通る時、上野上村城をなんとかしないと補給路や退路を絶たれる恐れがありました。そのための重要な拠点ともいえるでしょう。

御城印

上野上村城址の御城印は上郷区民間で販売しています。徳川四天王のひとりに数えられている榊原康政はこの地区の出身といわれており、(大河ドラマどうする家康では杉野遥亮さん)それで康政のかぶとや紋がデザインされています。

ここでの注意点は上郷区民会館は日曜日、祝祭日、お盆、年末年始が休館日ということ。特に日曜日に閉まっているのは御城印コレクターの方は覚えておきたいポイントです。

所要時間と私の感想

上野上村城の所要時間は看板チェック、櫓台、地形を体感するために周辺をグルっと1周くらいなので約15分程です。私の感想ですが、榊原康政の生誕地の地区に残る城跡ということで、大河ドラマ・どうする家康が好きな方はもちろん、榊原康政に興味がある方にもオススメです。

また城跡の散策ですが現地看板にある浅野文庫蔵諸国古城之図に残る部分がチラホラあるので高低差など楽しめる城だと思いました。

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