尾張,伊勢,近江など7つの国が見えた城が豊田市にあった?!それが七州城

現在の愛知県豊田市に江戸時代に7つの国が見えたといわれる城がありました。それが七州城(しちしゅうじょう)という通称をもった挙母城(ころもじょう)です。なぜここから7つの国が見えたのか?そしてその見えた国はどこ?またなぜここに城があるのか?実は深い理由(ワケ)がありました。

元は違う場所にあった挙母城

江戸時代、現在の豊田市中心部を治める挙母藩(ころもはん)がありました。政治を行う拠点として挙母城(ころもじょう:通称・桜城)が築かれたのです。現在の豊田市元城町付近。

しかしこの地は低い場所にあり、矢作川(やはぎがわ)の水害を受けるために高台に城を移すことになりました。それが現在の豊田市小坂本町7丁目、8丁目にある七州城です。

これが七州城

場所をわかりやすいうと、豊田市美術館の隣に櫓が復元されています。東側の豊田市役所側(つまり桜城があった場所)から見るとかなり上り坂になっており、高台にある事がわかります。

かつての七州城

現地案内看板にかつての七州城を描いたものがあります。これを見ると大規模な城だった事がわかりますね。

石碑

石碑には挙母城阯之碑と刻んであります。

ここからホントに7つの国が見えたのか?

七州城の解説にはこの高台から次の7つの国が見えたそうな。

・三河国(愛知県西部)

・尾張国(愛知県東部)

・美濃国(岐阜県南部)

・信濃国(長野県:たぶん南部)

・伊賀国(三重県西部)

・伊勢国(三重県北部~南部)

・近江国(そして滋賀県)

私の感想ですが、確かに七州城がある場所は高くなっているものの、物理的に滋賀県までは見えなかったと思います。ではなぜ7つの国が見える七州城といわれたのかという理由について。

これは私の仮説ですが、おそらく『七つの国が見えるくらい高い場所にあるよ』という意味だったのではないでしょうか?昔って、そんなノリでネーミングしてたので、それが七州城の由来だと思います。現在では櫓しかないものの、近くには城下町跡もあるので散策を楽しめる城です。

【あなたも一緒に城巡りしませんか?】

愛知県の城跡や戦国史跡を巡る歴史好きのサークル・【愛知ウォーキング城巡り倶楽部】。活動は毎月第一土曜、もしくは日曜日。現地集合、現地解散で行われる見学会です。城好き、戦国好きの方が在籍しています。歴史に詳しい、詳しくないなどは関係なし!好きならそれでOKです。入会費や年会費などもなく、参加する時だけ参加費を払うだけなので、あなたも気軽に遊びに来てみませんか?

>>詳しくはこちら

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク