豊田市の中心地に2つの城跡があります。それが桜城(元城町)と拳母城(小坂本町8丁目)です。
今回の記事ではこの2つの城の歴史と巡ってみた感想を書いてみます。
桜城
豊田市元城町の桜城址は、三宅氏によって築かれた城です。
■桜城址の場所の住所■
豊田市元城町1丁目51
慶長九年(1604)、金谷城に1万石で入封した三宅氏でしたが、敷地が狭いうえに城下町を築く平地が必要だったため、現在の元城町に桜城を築きます。
その後、三宅氏は転封。何人か藩主が変わり、寛延二年(1749)に内藤政苗が2万石で入城。この時、城の拡張を行おうとしましたが、矢作川の水害のために断念。
城を童子山に移すことになりました。
現在の桜城は、櫓台と思われる石垣が残るのみです。
拳母城
桜城を童子山に移転して築いたのが拳母(ころも)城です。
■拳母城の場所の住所■
豊田市小坂本町7丁目90
安永九年(1780)に幕府より二千両の拝借金で築城が再開され、天明二年(1782)に七州城が完成しました。
ちなみに拳母城は七州城という別名があります。これは拳母城があった高台から、三河国、尾張国、美濃国、信濃国、伊賀国、伊勢国、近江国の7つの国が見えたといわれることから付いた名前です。
伊賀や近江が本当に見えたのかは疑問ですが、それくらい眺めが良かったという意味なのでしょう。
発掘調査の結果、城の石垣や隅櫓に繋がる白い塀の礎石なども見つかりました。
こちらは再建された櫓台の石垣。石の接地面をキレイに加工した切込接(きりこみはぎ)という工法です。
私の感想
私の桜城と拳母城の感想ですが、この2つは現在の豊田市中心部に残る城址ということで、非常に興味深いものがありました。
個人的におすすめの巡り方は、金谷城⇒桜城⇒拳母城の順番です。
なぜかというと、まずこの順番が築城の順番であり、特に桜城から拳母城に行く時に感じたのは童子山の高低差です。桜城は平地にあり、拳母城は高台にあるので、水害を避けるための移築というのがよく分かります。