豊田市野見町にある丸根城は、松平氏が城主だった城といわれています。丸根城の歴史については詳細は分かりませんが、近くに松平発祥の地である松平郷があり、縄張りの特徴から松平氏の城のひとつではといわれています。
でも歴史は分からないのですけれど、城内には見応えがある遺構が残っていますので、私的には好きな城のひとつです。では豊田市の三河丸根城の遺構をチェックしてみましょう!
■丸根城址の場所の住所■
豊田市野見町7丁目
縄張り図
現地看板にある丸根城の縄張り図。原図は郷土出版社刊【西三河の城】より。これを見ると北が上になっています。主郭(本丸)を中心に東北側に北曲輪、そして北側に空堀を巡らせています。西~南側は矢作川が天然の堀として機能しており、川幅も広いです。
あと気になるのが主郭(本丸)の南側にある柵平地。(主郭と道がVの字になっている部分の間にある空白地)ここは現在、人工的な削平地で空き地みたいになっていますが、矢作川目前の場所なので、何かの曲輪があったのかもしれません。
まずは駐車場に車を停めてから場内散策。丸根城址は城址公園になっているので、公園の駐車場が完備されています。これって非常に助かる♪
堀跡
まずは北側の空堀。看板の向こう側の窪地が堀跡で、その向こう側に柵が見える場所が北曲輪です。かつてはもっと深かったのでしょう。また本丸北側にも空堀があります。こちらは現代の通路になっており、南側の道路に抜けることができます。
個人的に非常に気になるのが主郭(本丸)と北曲輪の間にある道。これって曲輪間の堀だと思います。この方向でまっすぐ抜けると、北曲輪の北側にある空堀に繋がるんです。
虎口
三河丸根城址には、2つしか曲輪が残っていません。北曲輪と主郭(本丸)です。その間に虎口(こぐち)の遺構があります。虎口とは、曲輪間の出入り口の事。守りやすく攻めにくい工夫が施されています。
簡単に言うと、北曲輪を攻める時も本丸を攻める時も、敵を側面から攻撃できるように作られています。また虎口の場所をよく見ると、両側に堀があって、攻める側の隊列が強制的に細くなってしまう土橋の遺構が確認できるんです。
曲輪
それでは三河丸根城跡の曲輪を見てみましょう!と言っても2つしかありませんがw、こちらは北曲輪。北、東、南は空堀で防御され、唯一の西側には先ほど説明した虎口があります。
そして本丸。北曲輪の数倍の広さです。現在は整備されて何もないように思えますが、よく見るとココもチェックしておきたいものがいくつかあります。
本丸の土塁跡。北曲輪との堀跡に向けて築いてあります。
本丸の隅に山神様が祭られていますが、この場所はかつての井戸跡です。井戸は籠城の時の貴重な水源なので、城には必ず必要なものですね。
私の感想
私の豊田市三河丸根城跡の感想ですが、見応えがあって、いろいろと学べる城跡だと思います。所要時間は30分もあれば十分でしょう。ちなみに最後に訪れた時期は3月中旬。写真を見て頂くと分かりますが、堀跡も周辺もあまり生い茂っておらず巡りやすい城に見えますよね?
でも以前、6月に来た時は堀跡をはじめ周辺も草だらけだったので、できれば春までに訪れておきたい城だと思いました。また場所的に松平郷や大給城なども近いので、セットでも巡るのもオススメです。