名古屋市千種区の相応寺(そうおうじ)は徳川家康の側室で初代・名古屋城主の徳川義直の母である、お亀の方の菩提寺です。
■相応寺の住所■
名古屋市千種区城山町1丁目47
お亀の方は寛永十九年(1642)に亡くなり、翌年に徳川義直によって建立された菩提寺が相応寺です。当時はこの場所ではなく、現在の東区山口町にあり、昭和九年(1934)に本堂、総門、山門、鐘楼等が現在地に移されました。
また徳川義直も慶安三年(1650)に江戸で亡くなりますが、義直の遺骨は相応寺で供養され、後に定光寺(瀬戸市)に義直廟墓が造営され葬られました。
一般公開の義直ゆかりの品
個人的にすごいと思ったのは、相応寺の総門と本堂の額が徳川義直の直筆ということ。徳川義直は名古屋藩主の中でも一番有名なのが徳川義直だと思うので、その直筆の額というのは貴重だと思います。
380年以上経過している額ですが、未だにハッキリとした文字で残っています。ちなみに文化財等にはしていされていません。
境内を奥へと進みます。名古屋市千種区でも相応寺がある周辺は高低差も多く、奥にいくほど高くなっています。
お亀の方の墓碑。本堂横にありました。
そして本堂
本堂の額も徳川義直の直筆です。私の感想ですが、お亀の方は尾張藩初期に影響力がある有名な女性なので、その菩提寺ということで貴重だと思いました。また近くには織田信長の弟である織田信行ゆかりの末森城や父・信秀の菩提寺である桃巌寺もあります。合わせて散策すると史跡巡りの満足度も上がるでしょう。