名古屋市瑞穂区に織田信長の弟の織田信照ゆかりの城が3つあります。それが中根南城、中根中ノ城、中根北城です。信照は織田信秀の十男もしくは九男といわれており、戦国時代に現在の名古屋市瑞穂区周辺に勢力を持っていた中根忠貞の養子となり中根姓を名乗りました。
名古屋市瑞穂区は開発された住宅地が広がっていますが、地形の高低差など見るものは多いです。では瑞穂区の中根三城をチェックしてみましょう。
中根南城
瑞穂区の中根三城の中で本城とも言えるのが中根南城。それを考えると中根忠貞、織田信照の居城跡という事になります。現在は瑞穂区丸根2丁目の北條八幡社、そして隣接する観音寺になっています。
北條八幡社の社(やしろ)がある場所が周辺で一番高いです。その下にある観音寺が曲輪だと思います。
高台にある巨木。樹齢400年の松だそうですが、今は切り株だけになっています。
中根南城は昭和初期まで堀跡が北側に残っていたそうで、そのまま中根中ノ城まで続いていたそうな。今では住宅地になっており堀跡の様なものは全くありませんが、周辺を見渡すことができる高台という地形はハッキリと分かります。
中根中ノ城
中根中ノ城(なかね なかのしろ)は織田信照の家臣・村上弥右衛門の城といわれています。特徴は城があったころの井戸跡が残っていること。近くに看板がありました。
西中根集会場に看板にあった井戸が残っています。
これですね。ポンプは近代のものですが、水脈は当時から続いているということでしょう。城はこの井戸の北側にあったといわれています。また伝わる規模は東西47m、南54m、区画整理前は松林で東側に土塁があったそうです。現在は住宅地です。
中根中ノ城は山の中腹みたいな場所にあり、東に向けて下がっています。当時は周辺もよく見渡せたのでしょう。
中根北城
中根北城は信照の家臣・村上小膳(むらかみ しょうぜん)の城で、規模は50m四方といわれています。現在は名古屋市立弥富小学校になっており遺構は残っていません。でも見るべきものはあります。それが地形です!
弥富小学校がある場所は高台。坂を登っていきます。この高低差だけでも城を偲ぶことができますね。
私の感想
私の中根三城の感想ですが周辺の地形、高低差を活かした作りになっているのが現地で分かり面白かったです。あと井戸が残っているのはポイント高いですね。
ちなみに織田信照はあまり有名ではない戦国武将ではありますが、豊明市の沓掛城主にもなっています。また本多忠勝に仕えた家老で中根氏の祖ともいえる中根平右衛門忠実だという説もあります。研究が進むといろんなところに繋がる人物かもしれません。