名古屋市北区安井1丁目に残る安井城址は豊臣家五奉行筆頭の浅野長政と豊臣秀吉の妻・北政所(きたのまんどころ:おね)の養父だった浅野長勝の居城跡です。
今回のレビュー記事は少し混乱気味なので整理しておきます。まず名古屋市北区安井1丁目にある、お福稲荷と白龍神社は、安井城の鬼門鎮護のために建立された神社。鬼門は城の東北側なので、その反対の南西側に城がありました。
現地看板
天正年間(1573~92)に安井将監(しょうげん)、浅野長勝(ねねの養父)が、安井城を築く際、鬼門(東北)の守護神として勘定したという。
名古屋市教育委員会
また北区誌を参考にした、お福稲荷奉賛会の案内看板によると、この安井の地は南北朝時代の康暦元年(1379)北朝の属していた犬飼頼隆が戦功によって賜った地で、その子孫がここに住み着き、犬飼、安井、浅野を名乗ったといわれています。この頼隆五代の子孫が長勝であったと伝えられています。
城の遺構にも見える
白龍神社がある場所は、お福稲荷から見ると細長い高台になっています。これは見方にもよりますが土塁にも見えてしまうほどの規模です。もしくは曲輪とか。
そして城址
お福稲荷の南西側に行ってみると住宅地が広がっています。この辺が、かつての安井城址なのですが城の遺構みたいなものは残っていません。