名古屋市北区味鋺(あじま)にある味鋺神社。ここはいつ創建されたのかは不明ですが、物部氏の祖神といわれる宇麻志麻治命(うましまじのみこと)が祀られています。
また寛治(かんじ)七年(1093)頃に競馬の神事が催されたといわれており、以前は例祭で流鏑馬神事(やぶさめしんじ)も行われていました。
■味鋺神社の住所■
名古屋市北区楠味鋺2丁目736
さて、この味鋺神社には戦国武将・加藤清正が架けたといわれる清正橋が移築されています。
これが清正橋
境内の隅の池みたいな所に石橋がありますが、これが加藤清正が架けた橋といわれ、清正橋という名前が付けられました。
この清正橋はもともと味鋺神社にあったものではなく、味鋺神社から南西約100mほどの溝に架けてあり、区画整理で味鋺神社に移されたとあります。
江戸時代に味鋺神社の近くを通っていた稲置街道(いなぎかいどう)へ繋がる橋だったみたいです。稲置街道とは、江戸時代に名古屋城の城下町と犬山城を結んだ街道。別名・犬山街道ともいわれます。
清正橋をよく見ると…
清正橋をよく見ると、なんだか四角のデコボコを見ることができます。これは石を割る時の矢穴(やあな)跡です。
簡単に言うと、このデコボコが付いた石はもとは大きな石で、穴を空けいくつかに砕かれました。その穴の跡が今でも残っています。
本当に加藤清正が架けたの?
清正橋の伝承ですが、加藤清正が名古屋城築城時に架けたので清正橋と呼ばれていると看板にはありますが、私の感想ですがおそらく伝承だと思います。
その理由は、加藤清正は篠島(しのじま)から名古屋城の石垣の石を切り出しており、味鋺は正反対の場所にあるので、ついでに橋を架けたというのは、根拠も乏しく違うと思います。
ただ江戸時代を通して加藤清正は庶民に人気があった戦国武将なので、そこからなぜか清正のゆかりが付いたのかもしれません。
今でも普通に歩くことができる石橋なので、味鋺神社を訪れた際には是非チェックしてみて下さい。