小牧市の本田公園に移築された年貢橋の清正橋

小牧市の本田公園はかつてこの近くの川に架かっていた年貢橋(清正橋)が移築展示されている公園です。

■本田公園の住所■

小牧市岩崎大字1302

>>本田公園の場所の地図

年貢橋?清正橋?とはいったい何なのか?話は関ヶ原合戦後の名古屋城築城の時にさかのぼります。

石垣を採った山

関ヶ原合戦に勝利した徳川家康は慶長十五年(1610)から名古屋城を築きますが、その石垣の石を採った採石場のひとつが現在の小牧市岩崎山です。ここは加賀藩前田家の石切場でした。

岩崎山で切り出した石を街道を使って名古屋城に運ぶ訳ですが、その途中に架けられていた橋が年貢橋。加藤清正が架けた橋という伝説がありますが、加藤清正は篠島で採石しており、やはり伝説なのでしょう。

かつてはこの様に川に石造りに橋が架かっていました。しかし安全上の問題もあり、移築されることになったのです。その移築先が本田公園です。

本田公園の奥に鉄柵があり、その中に年貢橋(清正橋)があります。中に入ることはできず、鉄格子から見学できます。

現地案内看板。

石造りの橋です。

橋の下の部分。よく見てみると矢穴(やあな)という、石を割り出した時につくクサビの跡がありますね。

どこから持ってきた?

ちなみにこの年貢橋(清正橋)は、本田公園から南へ100mちょっと離れた場所に架かっていました。

ここです。年貢橋跡。

現地には碑があり次のように書かれています。

『本田公園へ移築する前は、ここに橋が架かっていました』(小牧市教育委員会)

現在では年貢橋(清正橋)を偲ぶものは一切なく、この碑だけが当時を物語っていますね。

私の年貢橋(清正橋)の感想ですが、名古屋城の石垣の石のエピソードということで、興味深いものがありますね。あと加藤清正が架けてないのに名前が付くとは、江戸時代から清正は人気といわれていますが、この石橋からも納得できます。

小牧山城、そして岩崎山砦跡に訪れた時はぜひここもチェックしておくことをオススメします。

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