名古屋城の石垣に使う石がなぜ小牧市市民会館に?原川の落とし石とは

小牧市市民会館の敷地に名古屋城の石垣に石に使用する予定でしたが使用できなかった石があります。これは原川の落し石といわれています。なぜせっかく切り出した石が仕えなかったのか?それにはあるいわれがありました。

■小牧市市民会館の場所の住所■

小牧市小牧2丁目107

>>原川の落し石の場所の地図

なぜ使えなかった?

この石は名古屋城築城時、石垣を築くのを担当した加賀前田家が岩崎山から切り出した石と考えられています。その理由は石垣に前田家の刻印が確認されたからです。

さて、なぜせっかく切り出した石なのに石垣に使えなかったのかというと、運搬中に落してしまったからです。

では落したらまた拾えばいいじゃないかと想うのですが、実は落ちた石は落城を連想させる縁起が悪い石なので、新築の名古屋城には使えませんでした。

だから原川に落とされたままで数百年放置されていたのですが、現在では小牧市市民会館に運ばれて展示されています。

石の刻印とは

現地看板を見てみると、3つの石には3つのマークみたいな模様が刻まれています。これが刻印(こくいん)です。

なぜ石に刻印を刻んだのかという理由は、他の大名家の石と間違われないためです。

名古屋城は徳川家康の命で西国の20家の大名家が築城した城です。石垣の石も複数の大名家が各地から切り出して持って来ています。そこでもし隣の大名家に自分たちの石を間違われて持って行かれたら、苦労が水の泡ですね。

だから自分たちが切り出して運んだ石という事をPRするために刻印というマークを刻んだのでした。

原川の落石をよく見てみると、看板に説明がある刻印が刻まれているのがよく分かります。この刻印から加賀前田家が切り出した石ということも分かっています。

さらに矢穴跡も

石の中には矢穴(やあな)跡があります。これは石を割る時に矢穴という等間隔で開ける穴の跡です。

石の割り方を簡単に説明するとこんなカンジです。等間隔に矢穴を堀り『ヤ』という木の杭みたいなものを入れて上から叩きます。すると石の目に沿って矢穴が開けられていると石が割れるという仕組みです。

岩崎山とは

この原川の石を切り出した場所が小牧市大字岩崎にある岩崎山です。この岩崎山は石垣に適した良質の石の産地で、織田信長が小牧山城を築城する時もここから石垣の石を切り出したと考えられています。

ちなみに天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦では、羽柴秀吉が小牧山の織田・徳川連合軍に対して構えた砦を築き、稲葉一鉄、貞通父子等を将として4,000の兵で守らせました。今でも岩崎山の中には矢穴の跡が付いた石を見ることができます。

私の感想

私の原川の落し石の感想ですが、石垣好きな方た名古屋城に興味がある方は是非チェックしておきたい石だと思いました。

その理由は石垣に使われる予定の石ですし、名古屋城の石垣に関しては名古屋城検定に何度も出てくるからです。これも貴重な名古屋城ゆかりの史跡ですね。

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