小牧長久手合戦で羽柴方の堀秀政、蒲生氏郷らが守った小牧市田中砦跡

小牧市東田中に三ツ山(みつやま)古墳という古代の古墳がありますが、ここは天正十二年(1584)の小牧長久手の戦いで、羽柴秀吉軍の田中砦となった歴史があります。

■田中砦の住所■

小牧市東田中

>>田中砦の場所の地図

前線近くの砦

田中砦の場所を見てみると前線近くの砦ということが分かります。もし最前線の二重堀砦が襲われた時、援軍に駆けつけることができる砦のひとつです。

古墳に築かれた砦

東田中宮前遺跡

 眼の前の小高い山は。三ツ山(みつやま)古墳群のうち、唯一現存する三ツ山三号墳です。この古墳が造営された古墳時代頃から中世にかけて、この古墳群の周辺に集落が営まれました。この古墳群を含む遺跡の範囲を東田中宮前遺跡といいます。平成十九年・二十年には三ツ山三号墳の南側で発掘調査が行われ、弥生時代、古墳時代、古代、中世、近世の遺構や遺物が確認されました。

 調査では三号墳を巡っていた周濠(しゅうごう)を検出し、三号墳が方墳(ほうふん)であることを確認しました。また、周濠から出土した遺物などから、この古墳の造営時期は三~四世紀以降であると推定されます。そのほかに、周濠の真下から弥生時代末期の大型土坑(どこう)が確認されており、古墳造営前には、既にこの付近に人々が生活していたようです。

 中世の遺構としては、古墳の裾から屈曲して南に向かう数条の溝が確認されました。まら、数棟の掘立柱(ほったてばしら)建物や井戸なども見つかり、十五世紀前後におけるこの地域の村の様子が明らかになりました。小牧市には天正十二年(1584)の小牧・長久手の合戦の際に築かれた砦として、二重堀砦や蟹清水砦などが知られていますが、三ツ山古墳群では羽柴秀吉軍によって、田中砦が築かれました。

 平成二十一年三月 小牧市教育委員会

現地の案内看板にも古墳を利用して田中砦が築かれたことが書かれています。

写真Aは弥生時代の集落の濠(ほり)。写真Bは中世の溝と書かれていますが堀です。

これが三ツ山古墳の状態。ホントに3つ古墳がありました。今では1つしか残っていません。

砦の看板

 田中砦跡

 天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦のときの羽柴秀吉方の砦跡で、堀長政(堀秀政か)、蒲生氏郷、加藤光泰らの将が守備したとされる。

 秀吉は岩崎山の南麗から田中、二重堀の砦に至る二十余町に渡る土塁をわずか一日で築いたとされ、これに対して徳川家康も小牧山北麓から八幡塚に至る土塁を築いたといわれている。

 小牧市教育委員会

この看板の堀長政は堀秀政のことでしょう。また注意したいポイントは秀吉は岩崎山の南麗から田中、二重堀の砦に至る二十余町に渡る土塁をわずか一日で築いたとされです。

二重堀砦~田中砦までは現在でも歩くことができます。直線距離だと800mくらいですが、その間の土塁をわずか1日で築くとは、数万の大軍が成せる技です。また家康も負けずに土塁を築いていた様です。

所要時間と私の感想

田中砦の所要時間は古墳登って看板読むくらいなので10分ほど。私の感想ですが、古墳を砦にする理由は周辺を見渡すことができる高台だからだと思います。でも当時も墓と認識されていたと思うので、バチ当たりな感はありますけど、リアルで合戦とかやっていた時代なのであまり気にしなかったのかもしれません。

【あなたも一緒に城巡りしませんか?】

愛知県の城跡や戦国史跡を巡る歴史好きのサークル・【愛知ウォーキング城巡り倶楽部】。活動は毎月第一土曜、もしくは日曜日。現地集合、現地解散で行われる見学会です。城好き、戦国好きの方が在籍しています。歴史に詳しい、詳しくないなどは関係なし!好きならそれでOKです。入会費や年会費などもなく、参加する時だけ参加費を払うだけなので、あなたも気軽に遊びに来てみませんか?

>>詳しくはこちら

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク