小牧市二重堀町の二重堀砦は天正十一年(1583)の小牧・長久手の戦いの時、羽柴軍の日根野弘就(ひねの ひろなり)が兵力約2,000で守備した砦です。砦の規模は東西約100m、南北約70mほど。
羽柴軍が長久手敗戦後、撤退命令が下され、それに対して織田・徳川連合軍から攻撃を受けます。この時に木村常陸之介、神子田半左衛門、黒田官兵衛、明石左近らが入って守り、殿(しんがり)をして多くの死傷者をだしました。
この二重堀砦は羽柴軍でも最前線に近い砦で、織田・徳川連合軍との小競り合いが多かったと伝わります。では、そんな二重堀砦跡がどうなっているのかをチェックしてみましょう。
こまき巡回バス・こまくるの二重堀北バス停からすぐの細い道を入っていくと二重堀砦跡です。入口のところに備中守砦趾入口という案内の石碑があります。
民家の庭先に二重堀砦の石碑と祠が祭ってあります。
守将は日根野弘就(ひねの ひろなり)。美濃の齋藤氏に仕えた後、今川氏や織田氏と点々とし、小牧・長久手合戦時には羽柴軍としてこの二重堀砦を守備していました。
祠の下にある補足の説明石碑。
二重堀砦周辺は住宅地と畑地となっており、砦時代の遺構は残っていません。名前の通り二重の堀があったのでしょうか。私の二重堀砦の感想ですが、遺構は無くても小牧・長久手の戦いの最前線の砦ということでかなり貴重だと思います。