春日井市大留6町目にある子安神明社は、戦国時代の小牧・長久手の戦いで羽柴軍の池田恒興に味方した村瀬作右衛門の居城跡です。
■大留城跡の場所の住所■
春日井市大留町6丁目
天正十二年(1584)の小牧長久手合戦の時。楽田(がくでん:犬山市)城に本陣を置いた羽柴軍と小牧山城の徳川家康・織田信雄連合軍は膠着状態になります。
そこで羽柴軍の池田恒興を先鋒にした岡崎城攻撃隊が組織され、岡崎に向かう事になりました。その途中、庄内川を渡る時に味方に付いたのが大留城主・村瀬作右衛門です。記録には恒興たちは村瀬作右衛門と軍議を開いたとあります。おそらくそれが大留城だったのでしょう。
翌日、恒興たちは岡崎城を目指しますが、なぜか途中の岩崎城(日進市)を攻めてしまい、落城後に休憩していたところを徳川家康に襲われてしまい、そのまま長久手合戦に突入します。
大留城跡は現在子安神社になっており、境内には大留城跡と刻まれた石碑があります。あとは空堀の遺構らしきものが残っていますが、周辺の住宅造成時にほとんど破壊されており、微妙な遺構です。
石碑の横を見てみると、天正年中村瀬作右ェ門居城と刻まれています。
南を流れる庄内川。大留城跡が高いところにあるので、川というより谷みたいになっています。ちなみにこの庄内川の向こう岸は現在の名古屋市守山区です。現在では春日井市と名古屋市の境に流れる川です。
さて、その後、村瀬作右衛門はどうなったのかというと…池田恒興に同行していた村瀬作右衛門は、長久手合戦で討死し、大留城もその後廃城になりました。廃城後、大留城跡はそのままになっていたみたいですが、後に子安神明社が建立されました。現在、地元でもこの場所がかつての城跡と知る人も少ないでしょう。