愛知県小牧市の小牧山城(続日本100名城)は近年、発掘調査がどんどん進められています。その中で天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦時の織田・徳川連合軍によって築かれたといわれる堀と土塁が南側(ドンキや小牧市役所側)に復元されました。
パッと見、2段の土塁になっており、迫力があります。でも、この復元土塁は上と下から両方見たほうが良いのです。その理由は、この堀と土塁に隠されたカラクリが分かるからです。
下から見てみる
これは小牧市役所やドン・キホーテ側(つまり小牧山城の南側)の県道197号線の方から見た様子。すると土塁は2段見えるものの、堀の中は全く見えません。当然ですけどね。
上から見てみる
上から見ると堀と土塁は見えます。何が言いたいかというと、下から見た場合、堀の中の様子が全く見えず分からないのです。小牧山城の整備を進める小牧市教育委員会は、この様な土塁と堀が小牧山を取り巻いていたことを指摘しています。
大河ドラマでも
これは令和五年(2023)のNHK大河ドラマ・どうする家康でも放送されました。敵だった羽柴軍の池田恒興らが岡崎城を攻撃するために楽田(犬山市)から出陣します。でも羽柴秀吉らは小牧山に睨みを効かせています。そこで家康たちは密かに小牧山を出て、池田恒興らを追うのですが…
この時、深く掘られた堀の中を通って、池田恒興ら三河攻撃隊を追撃したことが描かれていました。つまり楽田の羽柴秀吉らに見えないように深く掘られた堀の中を進んで出撃したということです。
背旗や馬印を立てずに進めば手前の土塁からは堀の中の様子がよく見えません。それを復元してあるのが小牧市役所やドン・キホーテ側(つまり小牧山城の南側)の県道197号線の方から見た土塁と掘です。
私の感想ですが、この復元された堀、土塁は上と下から両方見るとそのカラクリが分かると思います。堀は防御のためのものですが、コッソリ城外に抜ける抜け穴みたいにも使えたということですね。