小牧市小松寺山砦は天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦で羽柴軍の三好秀次、丹羽長秀が守った砦です。
天正十二年(1584)の小牧・長久手の合戦で、秀吉方の砦が築かれた。小松寺山一帯に、砦は二か所あったといわれ、その規模は東砦が十間(約18m)四方、西砦が東西八間(約14.5m)、南北十間(約18m)であったという。三好秀次、丹羽長秀などが守備した秀吉軍の主陣地であった。
この合戦のとき、小松寺にあてた池田恒興、森長可などの軍陣制札(ぐんじんせいさつ)が小松寺に保存されている。小牧市歴史館には、その複製が展示されている。
平成二十二年十二月 小牧市教育委員会
※一間=1.81メートルで換算
小牧市教育委員会の看板を読んでここには2つの砦があったという点がポイントだと思いました。その理由は羽柴、徳川・織田の砦跡を見てみるとこの様に東西2つの砦があった場所は他に無いからです。
場所をチェック!
小松寺山砦は敵の前線に近いですが川を挟んで一歩引いた場所にあります。上末城や二重堀砦そして田中砦の援軍も可能。左翼の遊撃手みたいなポジションです。
そして現場
小松寺山砦で感じることは背後が高くなっていること。これは入口の門から見てもよく分かります。そのまま坂を上がってみましょう。
頂上に着くと住宅地が広がっていますが、削平地が広がっています。現在は開発が進んで砦時代の土塁や堀などはありませんが、頂上の面積が広いという印象です。
極めつけはこの小牧山城の眺望です。小牧山は織田・徳川連合軍の本陣が置かれていた場所なので小牧山城は敵方の本拠地。それが丸見えです。当時はマンションや鉄塔も無く、また小牧山城自体も木々に覆われていなかったので、小松寺山砦から丸見えだったことがよく分かります。この立地も砦の条件で大事です。
私の小松寺山の感想ですが、この周辺には羽柴軍の砦跡が点在しているので歩いて巡るのがオススメだと思いました。その理由は砦と砦の距離感、そして高低差など歩くことによって分かることも多いからです。