小牧市不発橋の由来は小牧長久手だった!詳細と読み方そして私の感想

小牧市北外山の不発橋は天正十二年(1584)年にこの周辺で起こった小牧長久手合戦が由来で付いた名前の橋です。

不発橋の読みは うたずばし

またこの地名の漢字には、宇田津、歌津(発音は うたず)などがあります。

不発橋の場所

不発橋の場所の位置ですが、愛知県小牧市北外山(きたとやま)にあります。今では県道25号線に架かる橋で、信号・不発橋西の東側の橋です。近くには住友理工(株) 小牧製作所があります。また不発橋の下を流れるのは大山川です。

>>不発橋の場所の地図

不発橋の由来は?

不発橋のふもとにには、橋の名前の由来が書いてある看板があります。この説明を簡単にまとめると以下のとおりです。

・昔、宇田津という鞍作りの名工が、名古屋城築城の際、この地を離れる時に祖霊を祭り宇田津明神を崇めたことからこの名前が付いた。

・天正十二年(1584)の小牧長久手合戦で、徳川軍の兵士が小牧山城に布陣していた家康に敵(羽柴軍)の動きを知らせようと、この近くにあった砦を通り抜ける時、鉄砲で討たれてしまう。その時、『敵を討たず(うたず)に死ぬのは残念…』と言い残したため、不発『うたず』という地名になった。

ともあれ、あまり見ない不発という地名には、やはりその地名が付く由来というか、キッカケがあったんですね。

橋の欄干を見てみると、徳川家の家紋・三つ葉葵があります。たぶん小牧長久手合戦の徳川軍、羽柴軍をイメージして作られたのでしょう。

不発橋の下を流れるのは大山川です。ちなみに不発橋の東に住友理工(株) 小牧製作所がありますが、その敷地内には小牧長久手合戦の時の宇田津砦という、織田徳川連合の砦がありました。

私の不発橋の感想ですが、ここも小牧長久手合戦ゆかりの史跡(?)とうことで、城巡りついでにチェックしておくことをおすすめします。

ただ近くには駐車場がありません。車でアクセスする場合、車は駐車可能な場所に止めて歩いて訪れたほうがよいでしょう。

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