小牧市東3丁目の宇田津砦は、天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦で織田・徳川連合軍の松下親乗、松平忠頼が守った砦です。
此の地は昔 宇田津という鞍作りの名工が居住していましたが、天正小牧・長久手の役、当時徳川・北畠連合軍が此処に砦(総構約二丁四方)を築いて西小牧城・東田楽(たらが)の砦と共に北方二重堀方面の秀吉軍と対峙した処であります。尚 古より哥津(うたつ)とも書き近来は不発(うたつ)とも書かれています。
※宇田津砦は歌津砦、哥津砦、不発砦とも
宇田津砦の位置
宇田津砦は現在の大山川の東に位置した砦です。大山川で味方の北外山砦とは分断されていますが、田楽砦(たらがとりで:春日井市)との連携で敵の上末砦と対峙していました。
また守将は松下親乗(大給松平)、松平忠頼(桜井松平)という、徳川家康の一族が固めており、重要なポジションだったことが分かります。
かつての雰囲気
宇田津砦は現在、民間企業の敷地になっており、一般人は入ることができません。これは2008年の撮影許可が下りた時に撮影したものです。もとは宇田津の森が広がっていたといわれるので、当時もこの様な雰囲気だったのでしょうか。
小牧町時代の宇田津砦趾の石碑。今となっては貴重なものです。
私の感想
私の宇田津砦の感想ですが、遺構は残っていなくても小牧町時代の石碑や看板を見学できて良かったです。今では宇田津砦の史跡巡りはできませんが、その位置を知ることによって、織田・徳川連合軍の砦がどの様に配置されていたのかを知ることができます。