新城市作手清岳の塞之神(さいのかみ)城址は伝説の三長者のひとり・米福長者が築いたともその後の土豪・奥平氏が築いたともいわれる城跡です。
現地看板
所在地 新城市作手清岳字本城
立 地 山頂・標高628m(比高80m)
規 模 150m×900m
塞之神城は、来歴不明な城の一つである。伝説も含め、古くは元亀年間(1570~73)武田氏によって、奥平氏との和睦の際、合議により築かれたともいわれ、また、奥平氏が作手に来住する以前の米福長者(三河三大長者の一人で作手に在住)時代に存在したとの推測もされている。
いずれにせよ二時期にわたる構築が指摘されており、主郭とその東西の虎口の部分、二の曲輪と堀切を含むその付属部分と普請の程度に明らかな差異が見られる。新城市
場所的に米福長者の屋敷跡にも近く、古宮城址の近くでもあるので二時期にわたる構築は可能でしょう。例えば廃城になっていた米福長者時代の城を改修して塞之神城にしたとか。
これが現地看板にある塞之神城址の縄張図。範囲は広いです。
では城跡
まずは山の尾根沿いに侵入してくる敵を防ぐための堀切。ちょうど文珠山城から塞之神城に来ることができるので、その遮断のための堀切なのでしょう。
本丸含め周辺の曲輪には土塁が残っています。
あと塞之神城は急峻な角度を登りますので、地元の方でしょうか?ロープを張ってくれています。これは助かりますね。私の塞之神城の感想ですが、遺構はシッカリと残っているので冬に訪れたほうが良いと思いました。その理由は夏は草木も生い茂っているからです。