愛知県新城市の設楽原古戦場に長篠・設楽原合戦屏風絵図の大きな看板があります。ここの北端、武田軍最前線の部分に真田信綱、昌輝兄弟が描かれているのをご存知ですか?
真田信綱、真田昌輝兄弟は大河ドラマ・真田丸で有名になった真田昌幸(信繁:幸村)の兄です。大河ドラマ・真田丸で例えるなら草刈正雄さんそして同じ大河ドラマ・どうする家康で例えるなら佐藤浩市さんの2人兄です。
真田昌幸は永禄年間(1558~70)に武田信玄の一族・武藤氏の養子となり、武藤喜兵衛として武田軍の足軽大将でした。しかし長篠・設楽原の戦いで2人の兄が亡くなり、真田家に戻って真田氏を継いだのです。ちなみに昌幸も長篠合戦には参陣していましたが、大将・武田勝頼旗本衆だったので、設楽原から無事に撤退でき戦死は免れていました。
亡くなった場所
そんな武田信綱、昌輝兄弟が討ち死にしたと考えられる場所が、馬防柵北端あたりにある名高田前激戦地(なこうだまえげきせんち)です。
名高田前激戦地から設楽原古戦場中央部を見ると緩やかな下り坂になっています。逆にいうと高台にあるということです。
いろはかるたの看板がある後ろ側の山が真田信綱、昌輝兄弟が陣を置いていたと考えられる名高田陣所比定地。現在では何もありません。
そして馬防柵北端
そのまま県道を北側に進むと馬防柵の北端である浜田に着きます。南にある竹広激戦地からここまでに馬防柵が設置されていたと考えられています。
ここまで来ると連吾川はすでになく、小川になってます。もしかすると元は連吾川沿いだったのかもしれません。
所要時間と私の感想
名高田前激戦地から馬防柵北端までの所要時間は歩いて5分くらいです。私の感想ですが、設楽原古戦場は現在の馬防柵がある場所だけではないので、周辺まで足を伸ばしてみると満足度も上がると思います。