愛知の城めぐり好きな人に街道、宿場、東海道歩きがオススメの3つの理由

私は城巡りが好きで主に住んでいる愛知県を中心に城や史跡を訪ね歩いています。そこで思うのですが、城好きな方は街道ウォーキングを同時にやるのがおすすめです。その理由は街道の知識があると城巡りや戦国史跡巡りがもっと楽しくなるから。

(1)城下町の事が分かり城巡りが楽しくなる

まずは江戸時代の近世城郭が分かりやすいのですが、城は城下町に街道を取り入れているケースが多いです。なぜかという理由ですが、もし軍隊が街道を通る時、その城をなんとかして攻略しないと補給路や退路を絶たれるからです。つまり大きな関所みたいなものですね。

また城巡りにも専門用語がありますよね。例えば土橋、切岸、枡形(ますがた)、虎口、曲輪など。これらの用語が分からなくても城巡りは楽しいものですが、用語が分かると城巡りはもっと楽しくなります。なぜなら看板や城の本に書かれている内容が分かるから。

街道巡りにも用語があります。例えば曲尺手(かねんて)、追分(おいわけ)、宿場、間の宿、問屋場など。戦がなくなった江戸時代ですが、街道用語を知ることによって、城下町の事もよく分かるようになるのです。

(2)街道沿いに史跡が多いから

江戸時代の東海道ウォーキングでも街道沿いに興味深い戦国史跡が多く残っています。例えばこれは岡崎市の山中八幡宮。三河一向一揆の時、徳川家康が逃れて鳩に命を助けてもらった鳩ヶ窟(はとがくつ)があります。

これは名古屋市南区の笠寺観音とも呼ばれている笠覆寺(りゅうふくじ)。徳川家康が幼少の頃、織田信長の兄・織田信広と人質交換が行われたといわれる場所です。現在ではそれを示す石碑が建っています。この様に街道歩きなんですが、車では見落としがちな史跡を知ることもできるのです。

(3)街道で歴史がつながるから

街道で城や戦国時代につながるケースもあるのです。安城市~知立市、刈谷市そして名古屋市に向けて残る鎌倉街道跡は、永禄三年(1560)の桶狭間合戦の時、今川義元が通った街道と考えられています。その理由は当時、東海道はまだ無かったからです。この鎌倉街道をたどり沓掛城まで行くと、今川軍の進軍ルートもわかります。

そしてこれは東海道池鯉鮒(ちりゅう)宿から刈谷城へ伸びる旧街道・刈谷道。東海道を経由されて運ばれた物資を刈谷城の城下町に運ぶ街道です。また有事の際には刈谷城から出陣した軍が東海道まで行く軍道にもなりました。今では県道になっていますが、道筋はほぼ残っています。

私の感想

これら3つの理由から城巡りが趣味やライフワークとしている人は街道の知識が増えると城巡りがもっと楽しくなると思います。私も愛知県の城巡りコミュニティである、愛知ウォーキング城巡りクラブの方と街道ウォーキングを楽しんでいます。特に愛知県は東海道、鎌倉街道をはじめ、美濃路、稲置街道、飯田街道、佐屋街道など多くの街道が残っているので、城巡りとセットにしやすいという特徴があります。

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