三河地方に残る意外な城跡10選

三河の城といえば、例えば岡崎城、西尾城、吉田城、田原城など、天守や櫓があって水堀があって、石垣があって…みたいな城を思い浮かべますよね?

でもそれらの城は、江戸時代も存続した近世城郭という城を公園整備したもので、城はもっと多くありました。

この記事では三河国にかつてあった意外な城跡を10選んで紹介してみます。

香嵐渓(飯盛山城跡)

愛知県屈指の紅葉スポットで、シーズンになると県内外からも多くの観光客が訪れる香嵐渓(こうらんけい)。実は香嵐渓の半分、つまり山の部分は山城の跡なのです。

城の名前は飯盛山城(いいもりやまじょう)。

かつてこの地を拠点に勢力を持っていた足助氏の城で、周辺には足助七城と呼ばれる城跡群もあります。

つまり、『今週、香嵐渓に行ってくるね!』という事は、半分『今週、城跡に行ってくるね!』と言っている事なのです。

丈山苑

そうめんで有名な安城市和泉町。そこに有名な庭園がある丈山苑(じょうざんえん)は、戦国武将でもある石川丈山の館跡で、城跡でもあります。

丈山苑の無料ゾーンに小さい川(水路)が流れている谷間みたいな通路がありますよね?実はそこがかつての堀跡の底。

石川丈山はこの地の豪族の息子で、大坂夏の陣に参戦したものの、抜け駆け行為を徳川家康に怒られて浪人し、文化人になった人です。

でも邸宅跡は館城として研究され、ココも城跡のひとつなのです。

安城市歴史博物館(安祥城址)

和田遠江守が築城。その後、松平信光が攻略し松平氏の居城となった安祥(あんしょう)城。

尾張の織田氏、と争奪戦が繰り返され、織田信広(信長の兄)が今川軍に捕まった城。本多忠勝の父、祖父も討死。

現在の安城市歴史博物館を含む一帯が、かつての安祥城跡と伝わります。大乗寺が本丸、八幡社が二の丸です。

>>安祥城レビュー記事

西尾市立八ツ面小学校(荒川城跡)

別名『八ツ面古城』。東条吉良氏の分流・荒川義広の居城。

義広は東条城の東条吉良氏から独立し、戸ヶ崎氏から分流した『荒川氏』を継ぎます。徳川家康が吉良義昭と争ったときは、家康に味方して功を立て、これにより、家康の異母妹・市楊姫を妻とします。

しかし三河一向一揆では一揆方に属し、家康に敗北。翌年に荒川城も落城。その後子孫は尾張徳川家に仕えます。

現在の西尾市立八ツ面小学校の場所に、かつて荒川城があったとの事。

周辺は住宅開発で城跡の遺構は残ってない様に思えますが、わずかに堀跡、曲輪跡を偲ぶことができます。

幸田町立深溝小学校(深溝城跡)

3つあった深溝松平氏の居城のひとつ。深溝松平氏は大名として明治まで続きます。

菩提寺・本光寺東廟所にある7代・松平忠雄の墓が平成20年(2008)8月末に豪雨災害に遭い、翌年補修の検討のために学術調査が行われたところ、西洋伝来のガラス製グラス、慶長小判などの副葬品が大量に発見されました。

小学校が城跡ネタのもうひとつが、幸田町の深溝小学校。坂を上っていく高台にあり、高低差から城跡を偲ぶことができます。

蒲郡クラシックホテル(不相城跡)

上ノ郷城(蒲郡市)・鵜殿長持の弟、鵜殿長成の居城。永禄五年(1562)の上ノ郷合戦時では、本家で兄である長持に従い松平軍と戦います。

しかし戦況が悪化すると篭城はせず、吉田(豊橋)に逃れ落城後に廃城。

昭和天皇・香淳皇后も宿泊された歴史をもつ蒲郡クラシックホテルが建つ場所は、戦国時代に鵜殿氏の不相城があった場所です。現在は開発により遺構は残っていませんが、周辺からの高低差が、かつての城跡を偲ばせます。

豊川市立長沢小学校(長沢御殿)

寛永十一年(1634)に築かれた三代将軍・家光の上洛途中の休憩所として築かれた御殿跡。城主はおらず、【御殿掃除役】として清水四郎大夫の名が残っています。延宝八年(1680)に老朽化で取り壊されるまで46年存続。

現在の豊川市立長沢小学校と長沢保育園が、かつての長沢御殿跡とのことですが、現在では遺構らしきものは残っていません。

でも小学校の前に長沢城の古地図を描いたパネルがあります。

これですね。元禄十二年頃(1699)の絵図です。

これを見ると真ん中に東海道が通り、北側に三河守城址(長沢城)中央に御殿。南に音羽川そして古城山御林があったことが分かります。

つまり東海道沿いに建てられていた御殿だったという事です。

JR牛久保駅(牛久保城跡)

東三河に勢力を持っていた豪族・牧野氏の居城。

城主・牧野古白は今橋城(後の吉田城)を築いた人物。牧野氏は今川氏に従っていましたが、永禄三年(1560)桶狭間合戦後は徳川氏に仕えます。

長篠合戦時には、設楽原へ向かう織田信長が入城(信長公記)する等、この頃には東三河の有力な拠点の城でした。

牧野氏は天正十八年(1590)家康の関東移封に伴い上野国大胡に二万石を賜り、また越後長岡藩の祖となります。

その後牛久保城は吉田城主・池田輝政の家臣・荒尾平左衛門が入りますが、元禄十三年(1700)に廃城。

近くに今川義元の胴塚がある大聖寺、山本勘助の遺髪塚がある長谷寺があります。

かつての牛久保城の古図。これを見ると南側が川で、周辺には城下町もあったことがわかりますね。現在では川が埋め立てられ市街地になり、城下町も住宅地となりました。

ただJR牛久保駅の近くの空き地に牛久保城趾の石碑が建立されています。

伊良湖のヤシの実の碑(日出台場)

幕末の元治元年(1864)、大垣新田藩(おおがきしんでんはん:美濃大垣藩の支藩)によって築かれた台場跡。現在では、島崎藤村の歌碑がある広場。

城郭研究では、幕末の海防施設も城跡として研究されています。続日本100名城の124番に品川台場が含まれているのもその理由です。

岡崎市東公園(欠城跡)

本多忠勝の叔父である、本多肥後守忠真の居城跡。忠真は三方ヶ原合戦で討死してしまい、欠城もその後廃城になったみたいです。

現在の岡崎市東公園が欠城があっあ場所として推定されています。公園一帯が城跡という訳ではなく、公園の一部分に城があったという事ですね。

まとめと私の感想

三河地方に残る意外な城跡、いかがでしたか?実は今回紹介した以外にも、たくさんの城跡があるんです。

私の感想ですが、こういった意外な城跡を巡ることも郷土史レベルの城巡りの楽しさだと思いました。

天守や石垣が残る日本100名城、続100名城巡りも楽しいですが、今回紹介した知られざる城跡巡りもまた城の楽しさでもありますね。

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