尾張地方に残る意外な城跡10選

 お城というと、天守閣があって石垣があって水堀があって…というイメージがあります。でもそれは城の長い歴史の中でのホンの一部分なのです。

 城の歴史の始まりは、弥生時代の環濠集落(佐賀県:吉野ヶ里遺跡)から、幕末の海防施設までの長い期間。その間にいろんな種類の城があったのです。

 私は愛知県にある2,000を超える城跡をほぼ全て巡りましたが、そんな中でも『ここ城跡だったの?』と驚いた尾張地方の意外な城跡10選を紹介します。

犬山市立楽田小学校

【楽田城:がくでんじょう】

 永正元年(1504)頃に尾張守護代の織田氏一族だった織田久長が築いた城。本能寺の変に起こった小牧長久手合戦では、羽柴秀吉の本陣が置かれます。

 現在は遺構は残っていないものの、楽田小学校は周辺より高台に建っており、城の雰囲気が残っています。

住所:犬山市城山97
楽田城の地図

一宮市立黒田小学校

【黒田城:くろだじょう】

高知城(高知県高知市)を築いた山内一豊の生誕地といわれる城。もともとは岩倉城(愛知県岩倉市)の織田氏(伊勢守系)の城で、一豊の父・盛豊が城代を務めていました。

 現在は小学校なので中に入ることはできませんが、一部に城跡と山内一豊のPRゾーンみたいな部分があり、そこは立ち入りOK。一豊の銅像と黒田城址の説明看板があります。

 ちなみに黒田小学校の北側を流れる水路は、かつての堀跡といわれています。

住所:一宮市木曽川町黒田古城26ー2
黒田城の地図

一宮市奥町西保育園

【奥城:おくじょう】

 織田信長、信雄、秀信に仕えた梶川高盛の居城。元亀四年(1573)足利義昭の籠る牧島城を攻撃。小牧・長久手合戦では、織田・徳川連合軍の拠点のひとつになっており、信長の弟・信照を迎えて籠城するが落城します。

 現在は一宮市奥町西保育園になっていますが、保育園の中に奥城址の石碑があります。

 また近くの貴船神社には、漫画・花の慶次の主人公・前田慶次の親友として描かれた奥村助衛門(永福)生誕地の石碑もあります。

住所:一宮市奥町西10
奥城の地図

一宮市苅安賀自動車学校

【苅安賀城:かりやすかじょう】

 近江小谷城の浅井氏の支流といわれる浅井新八郎高政の築城で、高政・長時二代の居城。高政は岩倉織田氏の家老・山内盛豊の従弟で、永禄二年(1559)の岩倉城落城時、盛豊の息子・一豊が縁を頼り、苅安賀城へ落ち延びています。

 現状は苅安賀自動車学校で城の遺構は残っていませんが、愛知県の苅安賀城址の石碑が建っています。

住所:一宮市大和町苅安賀火口上1580
苅安賀城の地図

志賀公園

【志賀城:しがじょう】

 織田信長の傅役(もりやく:教育係)を務めた平手政秀の屋敷があった場所。当時織田氏と敵対していた美濃と同盟を結び、帰蝶(濃姫)を織田家に嫁がせることに成功したのも政秀の活躍によるものです。その後、自害。諫死とも。

 現在は名古屋市北区にある志賀公園になっており、城(屋敷)の遺構は残っていませんが、公園内の平手政秀邸址の石碑が建立されています。

住所:名古屋市北区平手町2丁目
志賀城址の地図

CBC自動車学校

【坂井戸城:さかいどじょう】

 城主は小田又六という人物で、織田信長と同じ時代の人。または小田井城主・織田又六朗信張(のぶはる)という説もあり。

 名古屋市西区にあるCBC自動車学校がある場所に、かつて坂井戸城がありました。現在はここも自動車学校になっており、城の遺構は残っていません。

住所:名古屋市西区山田町大字上小田井東古川3117
坂井戸城の地図

龍泉寺

【龍泉寺城:りゅうせんじじょう】

 竜泉寺とも。弘治二年(1556)織田信長の弟・信勝(信行)が寺を改造して築いた城。信勝が稲生ヶ原合戦(弘治二年:1556)に敗れた後、廃城となりました。しかし長久手合戦後に秀吉が陣を置き、その時の一夜堀が残ります。

 現在では尾張四観音(おわりしかんのん)のひとつ、龍泉寺になっえいます。

 周辺を見渡せる高台にあり、境内の奥には天守風の資料館が建っています。(有料)

住所:名古屋市守山区竜泉寺1丁目1−902
龍泉寺城の地図

真宗大谷派名古屋別院

【古渡城:ふるわたりじょう】

 織田信秀が天文三年(1534)に築城。織田信長が元服した城。またお市の方生誕地説もあり。弘治元年(1555)廃城。元禄三年(1690)東本願寺別院が築かれました。

 現在は真宗大谷派名古屋別院になっていますが、境内の片隅に古渡城趾の石碑と案内看板が建っています。また名古屋城築城時に諸大名の石置き場になっていたみたいで、名古屋城に使われる予定だった刻印石もチラホラあります。

>>古渡城の詳細

住所:名古屋市中区橘2丁目8−55
古渡城の地図

新美南吉記念館

【中山城:なかやまじょう】

 新美南吉の童話・ごんぎつねに出てくる『中山さまというおとのさま』である、中山刑部大輔勝時の居城。岩滑城(半田市)も兼ねる。中山氏は緒川城の水野氏を支えた土豪のひとり。

 半田市の新美南吉記念館がある場所に、かつて中山城があったといわれています。現在はおもいっきり記念館になっており、城の遺構は残っていません。

住所:半田市岩滑西町1丁目10−1
中山城の地図

師崎フェリー乗り場の裏山

【羽豆崎城:はずさきじょう】

 南北朝時代(一般的に1336~1392)に築かれた城。戦国時代には千秋秀忠(熱田宮大宮司千秋氏の一族)が城主でしたが、桶狭間合戦時に織田氏に属したため今川氏に攻められ落城。江戸時代には千賀氏の所領となり、尾張水軍の拠点となります。

 篠島・日間賀島に渡る師崎フェリー乗り場の裏山が、かつての羽豆崎城跡です。

 岩盤の小山で海を見渡せる立地にあります。城内には展望台と羽豆崎城の石碑もあります。

>>羽豆崎城の詳細

まとめと私の感想

 尾張地方に残る意外な城跡10選、いかがでしたか?実はもっとあるのですが、キリがないので10城にまとめてみました。

 私の感想ですが、このマイナーな城跡こそ郷土史レベルの城巡りの面白さを実感できると思いました。その理由は、今回紹介した城は有名人物ゆかりの城もあれば、世に知られていない武将の城跡もあるからです。

 石碑や案内看板があればまだ良いですが、高低差などからも城跡を偲ぶこともできます。

 日本100名城や続100名城、またはアプリでの城巡りも楽しいですが、今回紹介した郷土史レベルの城跡巡りもまた楽しいものですね。

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