名古屋メシとして有名なきしめん。そして関東で広く食べられているひもかわうどん。それらのルーツの食べ物として歴史に名を残す、いもかわうどんという食べ物をご存知でしょうか?
実はきしめんも、ひもかわうどんも、このいもかわうどんがもとになったという説があります。しかも、いもかわうどんの発祥は愛知県刈谷市。徳川家康の生母・於大の方の実家である、水野氏の居城・刈谷城があるところです。
では、どんないきさつで、刈谷の芋川うどんがきしめんや関東で親しまれている、ひもかわうどんのルーツになったのか?今回は食べ物から歴史をチェックしてみましょう!
東海道の名物
話は江戸時代初期にさかのぼります。慶長五年(1600)徳川家康が関ヶ原合戦に勝利し、江戸幕府を開くと、江戸~京都を結ぶ街道を整備しました。これが東海道です。現在みたいに新幹線やJR、また高速道路が無い時代、人々は徒歩や馬で東海道を移動していたので、1日で目的地に着くのは難しく、それで江戸~京都の間に53(延長で57)の宿場が作られました。
宿場とは、現代でいうと旅館街で、宿泊できる宿が連なった町のことです。それ以外に立て場という、宿泊はできないけれど、休憩ができる飲食店が固まっているエリアが作られました。
そんな中、東海道池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく:現在の愛知県知立市)と鳴海宿(現在の名古屋市緑区)の中間地点、現在の刈谷市今岡町付近に立て場が作られ、飲み水と食べ物が提供される様になりました。この立て場で評判になったのがいもかわうどんで、一説によると東海道一の名物になったそうな。それが後の名古屋名物・きしめん、関東で広く食べられている・ひもかわうどんの元になった食べ物です。
いもかわはどこ?
いもかわうどんが提供されていたのは現在の刈谷市。その地名のもとになるのが、刈谷市今岡町にある芋川(いもかわ)遺跡。ここから縄文時代の遺跡が発掘され、芋川遺跡と名付けられました。
また刈谷市今岡町には、旧東海道が通っていましたが、この道沿いにかつて芋川うどんを提供していた店があったということで、碑が建立されました。
いもかわうどん発祥地の住所
刈谷市今岡町日向25
東西に別れた芋川うどん
このいもかわうどんが西に広まりきしめんになったといわれています。今では名古屋めしとしても有名です。
そして東の関東では、ひもかわうどんとして広まったといわれています。
『いもかわ』←→『ひもかわ』言葉も似ています。
いもかわうどんが食べられる店
そんな、江戸時代のいもかわうどんを食べることができる店があります。それが刈谷市一ツ木町7丁目にある、きさんという店です。
■きさんの住所■
刈谷市一ツ木町7丁目14−1
これが芋川うどん。お値段は1,320円(税込)。国産小麦粉100%で自家製手打ち麺。
土日祝日なら、このミニ丼セットもオススメです。+200円(税込)で、いもかわうどんに変更できます。
注文すること20分。ついに復刻された江戸時代のいもかわうどん。
麺は平べったく、きしめんを想わせる麺ですが、きしめんみたいに真っ白くなく、少し灰色になっているのが特徴。またきしめんみたいに少し硬めです。
そしてスープ。醤油べースでしょうか。薄味と思いきや濃くも無く、麺に絡みやすいスープです。そのほか具はネギ、鶏肉が入っていました。
注意点と私の感想
私のいもかわうどんの感想ですが、まずは江戸時代の名物をよくぞここまで復刻させてくれたと思いました。また味も現代風に若干アレンジはあるのでしょうが、食べやすく美味しかったです。
あと注意点ですが、いもかわうどんは注文を受けてから自家製麺を釜茹でにして調理するので、提供されるまで時間がかかります。店内には7分~8分とありますが、実際には20分ほど提供されるまでに時間が必要でした。これは少し長かったと思います。
また店内レジの近くには、いもかわうどんの味噌煮込みバ-ジョンがお持ち帰り用として販売されています。この持ち帰り用のいもかわうどんは、刈谷ハイウェイオアシスでも販売されていますが、そのほかではあまり見ないので、気になる方は店内でチェックしていた方が良いですよ。