桶狭間合戦前哨戦の戦死者のさむらい塚が残る知立市今崎城(来迎寺城)跡

知立市来迎寺(らいごうじ)町にある今崎城址は、桶狭間合戦の前に駿河の今川軍から攻められて落城した言い伝えが残る城です。別名を来迎寺城、来迎寺古城とも。今崎城に関する文献は残っておらず、一節にはこの地にあった来迎寺を守るための城だったとか。現在では来迎寺境内の隅に今崎城の石碑が建立されており、石碑の前に今崎城時代のものか分かりませんが石塔があります。

■今崎城の場所の住所■

知立市来迎寺町古城31

>>今崎城の場所の住所

地元の説明板

今崎城

今崎城に関する文献は見当たらないが、来迎寺町の地名に古城、足軽等があり、往昔の俤をとどめている。八橋町の葦香城と同時代にあった城のようで、古刹来迎寺の守護に任じていたと思われる。

さむらい塚

来迎寺の東にこんもりした土盛りがあります。これはさむらい塚といって、永禄三年(1560)の桶狭間合戦の時、尾張桶狭間に向けて進軍していた今川軍に今崎城が落とされた時、戦死者を祀った墓といわれています。

 古城塚(さむらい塚)
 市指定文化財(史跡)
 昭和四十年一月一日指定

 この地には『今崎城』と呼ぶ城があったと伝えられ、来迎寺付近には、現在も『古城』『足軽』など城に関する地名が残っている。

 この塚は。永禄三年(1560)今崎城が今川勢に攻められ落城した際、城を守り戦死した織田勢の武士を埋葬するために築かれたものと伝えられ、現在も地元の方により大切に守られている。

 明治の中頃、この付近から中国の唐・宋代の古銭三十余貫が出土し、昭和元年にも三十六貫ほど出土した。

 知立市教育委員会

明治、昭和の頃、この塚の周辺を開発した時、古銭がたくさん出土したといわれています。このさむらい塚のある場所は、来迎寺のすぐ東なのですが、民家があって県道沿いから行くことはできません。さむらい塚への行き方は、来迎寺の墓地から周って畑を通り、塚の裏側に出る道があるのでそこを利用してアクセスできます。

■さむらい塚の場所の住所■

来迎寺町古城41−1

>>さむらい塚の場所の地図

城に関する地名

遺構や歴史が残っていない今崎城ですが、来迎寺周辺に古城、そして足軽という今崎城があった時代を想わせる地名(字名)が残っています。これを城郭関連地名(じょうかくかんれんちめい)といいます。

ただ足軽という地名(字名)は珍しく、これは私の仮説ですが、足軽の民家が集合していた地域だったのかもしれません。また時代は違うのですが、来迎寺の前を江戸時代の東海道が通っており、道の両脇に現存する一里塚・来迎寺一里塚(愛知県指定史跡)があります。

私の感想

今崎城(来迎寺古城)は、かつて私が所属する愛知、名古屋の城巡り戦国史跡の会で訪れたことがあります。その時参加者から出た意見の中に、桶狭間合戦は有名だが地元レベルの史跡で興味深いというのがありました。

私の今崎城の感想ですが、ここは遺構が残っていないものの、織田信長と今川義元が戦った桶狭間合戦ゆかりの史跡ということで、桶狭間の戦いが好きな方はチェックしておいたほうが良いと思いました。また愛知県知立市の城址を調べている時、来迎寺城、来迎寺古城という城が出てきますが、それがこの今崎城のことです。また今崎城を訪れた時、近くの来迎寺一里塚、さむらい塚もセットで訪れておくのをお忘れなく!

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