刈谷古城址は知多緒川城主・水野貞守が築いた西三河侵出拠点だった!

刈谷市の刈谷古城址は知多緒川城主・水野貞守が築いた西三河侵出拠点といわれ、刈谷城の前身の城と考えられています。

■刈谷古城址の住所■

刈谷市天王町

>>刈谷古城址の地図

知多から西三河へ

戦国時代に現在の知多郡東浦町の緒川城を拠点に勢力を持っていた水野貞守は、逢妻川の対岸に城を築きます。それが刈谷古城です。そこはすでに知多半島ではなく西三河で、その侵出拠点に築いた城といわれています。後に手狭になったのか、金ヶ小路(かねがしょうじ)に新しく城を築いて移ります。これが刈谷城です。

現在は民家と畑地

刈谷古城は現在の刈谷市天王町にあったといわれ、横浜家系ラーメン町田商店 刈谷店の裏手にある高台あたりが城跡といわれています。ただ詳しい規模や縄張り、そして城があった頃の詳しいエピソードなどは不明。また現地は民家と畑地になっており、城跡の遺構は残っていません。

築城当時はここが刈谷城と呼ばれていたらしく、文明十七年(1485)の禅僧・万里集九(ばんりしゅうきゅう)の寄稿文・梅花無尽蔵(ばいかむじんぞう)に刈谷城の存在と当時の城主・水野貞守の事が書かれているそうです。

私の感想ですが、なぜ水野貞守がこの場所に城を築いたのかというと、すでに集落みたいな村の様なものが存在していたからではないかと思います。その理由ですが、刈谷古城の東南200mほどの所に元刈谷神社があり、敷地内から貝塚も出土しているからです。おそらく昔から集落みたいなものがあり、経済基盤があったのでしょう。そこを押さえるため、そして西三河の侵出拠点になるので、この地に築城したのではないでしょうか。

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