刈谷市小垣江町の3つの城址レビューです。まずは小垣江地内(ちない)城。
むかし、『荒井』に2つの堂が向かい合って建っていて、『どうむけ』(堂向い)と呼ばれていた。永正年中(1504~20)、戦いに敗れた長沢一族の陣砦の跡に、この『堂』の1つを移転して法栄寺と号し、一族の冥福を祈ったのがこの寺の始まりであるという。承応元年(1652)尾張建中寺の末寺となり、浄土宗に改宗して誓満寺を改めた。貞享2年(1685)に刈谷藩主・稲垣重昭の寄進により、誓満寺の鎮守富士塚社として勧進された浅間神社が合祀されている。
平成12年3月 刈谷市教育委員会
三河国二葉松によると城主は神谷与次郎、長坂氏とあります。愛知県中世城館跡調査報告によると城の規模は170×150mほど。
個人的に気になったのが誓満寺の高低差。西を流れる猿渡川(さわたりがわ)から見るとかなり高い場所に誓満寺があります。崖の上の城だったことがわかります。
これは誓満寺の墓地から西を望んだ画像。かつてはビルやマンションはなかったので、かなり遠くまで見えたと思いました。
小垣江須賀城址
小垣江須賀(すが)城址は神谷与七郎、神谷与八郎の居城跡といわれます。小垣江町須賀の中央辺りにあったといわれ、その場所は現在の法栄寺の少し南でしょうか。今では宅地が広がっており城跡の遺構は残っていません。
小垣江須賀城も高低差が特徴です。名鉄小垣江駅がある、前川方面から須賀に向かうと登り坂になってます。前川の上にあった高台に築かれていた印象を受けました。
小垣江新庄城
明治時代中期に書かれた小垣江村国誌材料という資料に記載がある城跡ですが、城主や歴史は不詳。それによると西は猿渡川に接して北は溝渠(現在は堀川)を境にして、東南部は平坦な畑地になっていたとのこと。
私の感想ですが、刈谷市には城跡が10あります。小垣江だけで3ですが、遺構が残っていなくても城主の名字など地域に多かったりしますので、歴史はつながっていると思いました。