刈谷市東境町の祖母神社は、鎌倉街道が残る神社です。私は愛知県の城や戦国史跡の専門家ですが、街道も同じく調べています。その理由は、城の近くには何かの街道が通っているからです。つまり城は何らかの街道を押さえる場所に築城されているのです。
また永禄三年(1560)の桶狭間合戦の時、今川義元は鎌倉街道、大高道といった街道を通り、桶狭間山に向かっていると考えられるので、三河の鎌倉街道のラインを調べると、今川義元が通った道を推測することができるんです。ということで以前から気になっていた鎌倉街道ですが、今回、刈谷市東境町に伝承地があるということで行ってきました。
■祖母神社の場所の住所■
刈谷市東境町町屋52番地1
祖母神社へ行ってみた!
祖母神社は車で行くことができます。駐車場に車を停め境内へ。史跡 鎌倉街道傳承地の石碑がありました。この奥に鎌倉街道といわれている道があります。
いざ鎌倉街道!
ありました!新しい石碑が建っているのでわかりやすいと思います。
これが鎌倉街道(と考えられる道)。思ったより狭いです。
是(これ)より西 境川に至ると刻まれている石碑がありました。刈谷市はかつての三河国です。実は祖母神社は刈谷市でも北にあり、さらに北にある境川(さかいがわ)を越えると、かつて尾張国だった豊明市に入ります。つまりかつての国境近くにあった神社なのです。
鎌倉街道は、そのまま神社の外に向かいます。
そして県道に出ました。アスファルト舗装の道ですが、これも旧鎌倉街道なのでしょう。
鎌倉街道御手洗池伝承地
祖母神社から外へ出る場所に鎌倉街道御手洗池伝承地という石碑があります。御手洗池(みたらいいけ)とは、寺社に参拝する時に手を洗う池のこと。祖母神社に参拝する時、手を洗った池なのでしょう。
これが御手洗池跡。私が参拝した時、数日間雨は降っておらず、天気予報も晴れ続きでしたが、ここには水が溜まってました。
酒井神社
刈谷市教育委員会の案内看板によると、祖母神社を抜けた鎌倉街道は刈谷市西境町の酒井神社の北側を通っていたみたいです。この酒井神社のすぐ北に国境だった境川が流れているので、酒井(境)神社という意味なのでしょうか?ちなみに看板にある徳川家重臣とは、酒井忠次の酒井氏のことです。
酒井神社の北側土手沿いに鎌倉街道西境跡の石碑がありました。そんなに古くない石碑です。もしかするとこの辺から境川を渡ることができた橋、もしくは渡船場みたいなものがあったのでしょうか?
酒井神社と鎌倉街道西境跡の石碑の位置関係を表した地図。道が細いですが歩いて行くことができます。こちらは祖母神社と鎌倉街道西境跡の石碑の位置関係地図。距離で約1kmくらい。徒歩での所要時間は約15分くらいです。
私の感想
私の刈谷市祖母神社と酒井神社の鎌倉街道の感想ですが、祖母神社の鎌倉街道伝承地は雰囲気が色濃く残っており楽しめました。また酒井神社北の石碑から土手を登ると、豊明市(尾張国)が見えるので、まさに国境の街道跡だなというのも実感できます。江戸時代の東海道も楽しいですが、戦国時代に武将たちが通ったであろう鎌倉街道も良かったです。