札の辻とは高札場があった場所!刈谷城城下町中心部跡はこうなっている

刈谷市銀座4丁目の三菱UFJ銀行刈谷支店の前に札の辻(ふだのつじ)という石碑があります。この札の辻とは何かというと、江戸時代に高札場(こうさつば)があった場所です。高札場とは何なのか?なぜここにあったのか?分かりやすく説明します。

江戸時代のお報せ掲示板

まず高札場(こうさつば)とは、政治で決まった事を住人に報せる掲示板のことです。現在の私たちはテレビやラジオ、パソコンやスマホを通してインターネットで政治で決まった事を知ることができますが、当時はその様なものもなく、木の板に書いて掲げてありました。

そこで当然ですが高札場があった場所は人が多く通る場所ということです。その理由は人の通りが少ない所に掲げても誰にも伝わらないからです。

高札場(札の辻)があった刈谷市銀座4丁目辺りは刈谷城の城下町でも中心部分だったのでしょう。ところで石碑のすぐ側に札の辻の説明板がありますが、昭和49年のものなので東海銀行と刻まれています。東海銀行はもうないので、今ではこの説明板もある意味史跡ですね。

以前、私が所属している歴史史跡を歩くコミュニティ・愛知ウォーキング城巡りクラブの刈谷城城巡り見学会でこの札の辻跡を訪れた事がありました。その時の意見として、ここの三菱UFJ銀行はよく来るけれど、石碑の存在は知らなかったという意見がありました。意識しないと石碑は目に入らないものですね。

刈谷城町口門跡

ついでに近くの城下町跡もチェックしてみます。まずは刈谷城町口門(まちぐちもん)跡。ここは東海道池鯉鮒宿(知立宿)から刈谷城に向かっていた刈谷道と繋がっている門。つまり城とは逆に行けば東海道池鯉鮒宿に行けました。

大手門跡

町口門を進むと刈谷城の大手門(おおてもん)跡に着きます。大手門とは城の玄関のこと。今では石碑しかありませんが、かつてはここに門もありました。

金ヶ小路

かつての古街道・金ヶ小路(かねがしょうじ)。刈谷市教育委員会の説明ですと刈谷城築城に関する資料に『かねがせうじといへるところに新城を築き』とあり、この『かねがせうじ』が金ヶ小路と考えられています。大手門跡の近くです。

椎の木屋敷

江戸時代より前の戦国時代に徳川家康の母・於大が数年間住んでいたといわれる椎の木屋敷(しいのきやしき)。江戸時代には一般人の立ち入りが禁止されていた聖域でしたが現在では公園になっており、於大の銅像が建立されています。

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