日進市折戸町中屋敷にある吹上城址、折戸城址は戦国時代に岩崎城の城主となった丹羽氏が最初に居城にした城です。岩崎丹羽氏は清和源氏・足利家の一色分流の子孫といわれ、もともとは一色氏だったのですが、尾張国丹羽郡に移住して丹羽氏を名乗り、その後、現在の日進市周辺に移住して基盤を固めました。その時の居城が吹上城、折戸城です。
■吹上城の場所の住所■
日進市折戸町中屋敷
駐車場について
吹上城は現在八幡神社になっています。参拝者の専用駐車場があります。3台くらいしか駐車できません。
現状・神社です。
では吹上城に登ってみます。入り口から高低差がハッキリとわかりますね。平山城と言った感じです。
八幡神社を南側(宝泉禅寺)から登ると向かって右側に折戸古城阯と刻まれた石碑があります。頂上まで行く途中にありますが見落としやすい石碑です。
この石碑を見ると現在の八幡社が吹上城で築城は文明三年(1471)に築かれた事がわかります。吹上城から西へ200mの所に城が移されて、それを折戸城といったそうな。遺構はのこれといって残っておらず、高低差とこの石碑くらいしかありません。
以前、愛知県や名古屋市の城址や戦国史跡を巡る愛知ウォーキング城巡りクラブで吹上城の歴史散策見学会を行いました。その時に参加者から出た意見ですが、もし木々が無ければ周辺を見渡す事ができる高台というのがありました。
そして折戸城
移転された吹上城は折戸城と呼ばれるようになったことは石碑に書いてあります。その場所は西に約200m。現状で言うと宝泉禅寺の駐車場辺りです。こちらも遺構などは残っていません。
かつての旧街道
吹上城近くにかつて祐福寺(東郷町)経由で岡崎方面に向かっていた街道が残っています。この街道は天正十二年(1584)の小牧長久手合戦の時、羽柴軍の池田恒興たち別働隊が岡崎城へ向かう時に通ろうとしていた街道だといわれています。
歴史では池田恒興たちはこの地より北側にある岩崎城を攻め、その後反転して長久手(長久手市)で徳川家康たちと合戦になり討たれています。だからこの街道は通っていませんが、もしそのまま岡崎城へ向かっていたのなら、この街道を通過していたのでしょう。
この岡崎城へ向かう街道も雰囲気が残っているという意見がありました。現在では住宅地になっていますが、道幅など当時はどの様になっていたか?など、想像は尽きません。
私の感想
↑吹上城からの眺めです。私の感想ですが、日進市の吹上城址、折戸城址は高低差くらいしか見るものがありませんが、城跡の雰囲気は残っておりそれなりに楽しめます。あと街道も雰囲気が残っているので要チェックです。所要時間は15分くらいです。
ちなみに私は吹上城址、折戸城址最寄り駅の日進駅で降り、2つの城址を楽しんだ後、街道を歩いて藤島城、白山宮、岩崎城へ向かいました。