若き織田信長と組んで岩崎城の丹羽氏識と戦った丹羽氏秀の藤島城址

日進市藤島町六反田の藤島城址は岩崎城の丹羽氏の分家・丹羽氏秀の居城址です。丹羽氏秀は家督を継いだばかりの織田信長と組んで当時の岩崎城主だった丹羽氏識(うじさと)と戦いました。

■藤島城址の住所■

日進市藤島町六反田

>>藤島城址の場所の地図

横山の戦い

戦国時代に現在の日進市・東郷町に勢力を持っていた岩崎丹羽氏。分家も多く、その中で藤島城主・丹羽氏秀は宗家(そうけ:一族のリーダー家)の座を狙っていました。

しかし単独で岩崎城の丹羽氏識には勝てない…そこで考えついたのが家督を継いだばかりの織田信長と組んで岩崎城の丹羽氏識を攻める作戦でした。

天文二十年(1551)、まだ家督を継いだばかりの織田信長に対し、『宗家の岩崎城丹羽氏が謀反を企てている』と吹込み、挟み撃ち作戦を図りました。

信長は承諾し藤島城主・丹羽氏秀と共に岩崎城を攻めます。これに対し丹羽氏識は出陣し、横山というところで鉄砲(当時は火縄銃)を有効に活用し信長を退けたといいます。これが地元に伝わる横山の戦い(横山合戦)です。

後ろ盾を失った丹羽氏秀は藤島城を放棄。三河広見城の中条秀正のもとに逃亡し、藤島城は岩崎丹羽氏の城となりました。

そして藤島城址

その藤島城址は現在田んぼになっており、城の遺構は残されていませんが、城域の一部に石碑が建っています。

藤島城址碑建立委員会によって昭和61年に建てられた石碑の裏に刻まれた説明。これを読むと石碑がある場所は東南隅高土居の一部、つまり城の東南側の土塁があった場所ということです。

城の周辺は田んぼ。かつてはどんな城だったのでしょうか。

藤島城址の前の農道みたいな県道はかつての旧街道だったらしく、明治時代の古地図にも記載されています。またここから白山宮も見えます。

私の感想

藤島城址の所要時間は約5分。石碑読んで周辺の写真を撮るくらいです。また以前に愛知県や名古屋市の歴史史跡や城跡を散策するサークル・愛知ウォーキング城巡りクラブで藤島城址を訪れたことがありました。

その時、参加者から岩崎城といえば小牧長久手の戦いで有名ですが、若き日の織田信長と戦ったことはあまり知られていないので、今回出てきた横山合戦(横山の戦い)は郷土史レベルの話ですが貴重だという意見や感想が出ました。確かに地元に伝わる戦国時代のエピソードなどはこれからの研究課題にもなるので貴重ですね。

あと藤島城址は岩崎城にも近いのでセットで訪れることもできます。

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