日進市本郷城址は岩崎丹羽氏2番めの拠点!現地レビューと感想

日進市本郷城址は岩崎城を拠点とした丹羽氏が折戸城の次に拠点とした城です。この本郷城の次に拠点としたのが岩崎城です。

■本郷城址の住所■

日進市本郷町鴻土705−2

>>本郷城址の場所の地図

小牧・長久手の戦いで岩崎城を拠点にしていた丹羽氏ですが、いきなり岩崎城主になったわけではありません。まずは吹上城と折戸城、そして今回紹介する本郷城に拠点を移します。

どれだけ離れてる?

まずは最初の拠点だった吹上城、折戸城から北に約2.5kmの平地に本郷城があります。現在では県道57号・瀬戸大府東海線という大きな道路がありますが、これはかつての街道というワケではなく、戦国時代には無かった道です。

だから私の感想ですが、山間部だった吹上城、折戸城周辺は米の収穫量が少なく、平地を求め本郷城に拠点を移したのではないかと思います。

本郷城の地形

本号城周辺の地形の高低差を国土地理院地図で見てみます。するとやはり低い場所(つまり平地)にあることが分かります。岩崎城や白山宮は高台にあるので、洪水や大雨の際には浸水に悩まされたのでしょうね。

文献に出る本郷城主

本郷城主が文献に出始めるのは丹羽氏清から。岩崎城近くにある日進市では有名な白山宮の宮記に次の様に記載されています。

大永三年(1522)本郷城主(天文七年(1538)岩崎に移城)丹羽若狭守氏清が始めて祭祀を奉修し以来、湯立、笹おどり、棒の手馬の塔(献馬)の神事が氏子によって伝承され『白山の馬まつり』として親しまれた

戦国時代の領主は地元の寺社を保護することによって、領民の支持を得ていたので、丹羽氏清も白山宮を手厚く保護していたのでしょう。

現在の本郷城址

そんな本郷城址ですが、現在はNTTdocomo東海の日進本郷無線局の鉄塔が建っているあたり。周辺は湿地帯、田んぼになっており城址の遺構などは残っていません。

明治時代の本郷城址

今昔マップon the webというサイトで明治21年(1888)の古地図を見ることができます。すると本郷城址周辺は田んぼばかりで今とあまり変わってない気もしますね。

あと私の気付きとしてですが、現在でも残る小路がすでに明治時代にあって、何かの街道なのかなと思いました。

私の感想ですが、本郷城址は何も残っていないものの、丹羽氏が岩崎城を拠点にする前の拠点ということで興味深いと思いました。現状は鉄塔しかありませんが、山間部の吹上城、折戸城から平地に引っ越してきたという実感はできるので訪れておくことをオススメします。

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