刈谷市にある刈谷城址公園と周辺の史跡をまとめてみました!かつての刈谷城跡は現在、亀城公園(きじょうこうえん)と住宅地になっていますが、よく注意して歩いてみるといろんな見どころのポイントがありますので、公園とセットでチェックしてみましょう!
■亀城(きじょう)公園の場所の住所■
刈谷市城町1丁目1
電車、車での刈谷城へのアクセス
刈谷城は電車でも車でも訪れる事ができます。電車で来る場合、最寄り駅は名鉄三河線の刈谷市駅です。駅から15~20分くらい歩きますが、歩くコースはかつての城下町なので、郷土資料館などをチェックしながら亀城公園に向かう事ができます。また車の場合は無料駐車場があるので、時間を気にすることなく散策ができますね。
>>JR,名鉄電車で刈谷城のアクセス方法と駐車場の場所と料金について
基本的には公園です
刈谷城跡の本丸、二の丸は現在亀城公園になっており、ちょっとした桜の名所にもなっています。毎年4月上旬~中旬に行われる桜まつりは屋台も出るので、多くの観光客で賑わいます。でも普段はそんなに訪れる人はいないので、史跡巡りもサクサク進みます。
刈谷城跡に置いてあった自販機!刈谷藩初代藩主・水野勝成の甲冑がど~んとプリントしてあります!販売している飲料水は普通のものですね。
2つの資料館
刈谷城を訪れる時、チェックしておきたい資料館が2つあります。まずは刈谷市歴史博物館。刈谷市の歴史に関する常設展(無料)とたまに有料の企画展もあります。
とくに常設展には江戸時代の刈谷城の様子がよく分かるジオラマがあるので、これは必ず見ておきたいです。
もうひとつが三の丸にある郷土資料館。建物が昭和3年に建てられた有形文化財で、中には展示資料もあります。こちらも無料。
この2つの資料館では刈谷城の地図が無料でもらえます。現在の住宅地図と古地図に刈谷城の縄張り図を付けたものです。これは必ずもらっておきたい1枚です。
まずは本丸
イキナリですが本丸です。というのも駐車場の近くにあり、刈谷城で一番高い位置にあるので、自然と本丸にたどり着きます。本丸は基本、公園で芝生とか木が植えてあります。
本丸の隅にある十朋亭(じっぽうてい)。刈谷城は天守が無かったのですが、この十朋亭がある場所に江戸時代初期には三層の戌亥櫓(いぬいやぐら)がありました。それが刈谷城の天守の代わりだったのです。だから言い換えれば、この十朋亭の場所は天守台址という事になりますね。現在では休憩所になっているほか、建物の中にいくつか部屋があり、レンタルルームみたいになっています。
本丸周辺には現存の土塁があるのでこれもチェックしてみてください。
多門櫓を建てたい
刈谷城には天守が無かったのですが、多門櫓があったらしく現在、亀城公園再整備事業として再建を進めています。でも時間をタップリかけ過ぎているせいか、市民の中には反対運動もあって、なかなか事業は進んでいません。そこで刈谷市は慌てて、西尾城の再建を進める西尾市に習って、築城シンポジウムというイベントを行い、市民に理解を得ようと必死の状態です。
また反対意見の中には、『築城するよりは老人ホームをたくさん建てるのが大事じゃないですか?』というのもあるんです。この辺は政治の問題なのでムズカシイですが、賛成派、反対派共に納得できる形にしてほしいですね。
刈谷市の公式サイトに亀城公園再整備事業についての記載があります。行政のサイトなので何が何だか私もよく分からない様にできていますが、興味がある人が是非、チェックして見てください。
二の丸には現存の堀跡!
本丸の次は二の丸ですが、刈谷城の二の丸があった場所は、現在刈谷城址の石碑がある場所です。よく見ると刈谷城二の丸跡の石碑も建っています。
二の丸のポイントとして刈谷城時代のほぼ現存の堀跡があります。豊田佐吉の胸像の後ろの池です。この池は古地図の堀跡とほとんど同じ形で残っています。
三の丸は亀城小学校
刈谷城二の丸の石碑の目の前にある信号の向こう側が三の丸跡です。歩いてみると分かるのですが、三の丸に向けて上り坂になっています。つまり二の丸より、三の丸の方が高くなっているということです。この微妙な高低差も歩いて城巡りすると気が付くポイントのひとつです。
三の丸の跡には、現在刈谷市郷土資料館が建っています。その隣にある刈谷市立亀城小学校は藩主の御殿跡です。亀城小学校は史跡巡りの際に立ち寄る事はできませんが、郷土史旅館は立ち寄る事ができます。しかも私的にはこの郷土資料館はかなりオススメの場所でもあります。
刈谷郷土資料館は、昭和三年に完成した亀城小学校の建物で、現在、国の登録有形文化財になっています。館内は刈谷市の歴史にまつわる展示があり、当然、戦国期や江戸時代のものもあるので要チェックです。
刈谷市郷土資料館を過ぎると、刈谷城の大手門跡の石碑があります。現在は普通の道路で大手門の遺構はなく、石碑だけがその様子を偲ぶ事ができます。
大手門跡近くに細い道があります。これが古街道・金ヶ小路(かねがしょうじ)です。文献には『かねがせうじ』に築城とあるので、昔からある街道なのでしょう。
そして城下町
刈谷城の面白いところは城だけではなく城下町の遺構や地名も残っているところ。例えば現在の三菱UFJ銀行刈谷支店がある場所は、札の辻跡という石碑が建ってますが、これはかつての高札場の跡地です。
高札場とは、政治で決まった事などを札に書いて掲示する場所。宿場の出入り口や多くの人が行き来する場所にありました。
城下町から刈谷城へ向かう入り口には町口門がありました。ここから先が城内です。
城下町はずれにある椎の木屋敷跡は徳川家康の生母・於大の方が数年間過ごした場所です。江戸時代には聖地みたいになっており、一般人は入れませんでした。現在は於大の方の銅像が建つ公園になっています。
私の感想
私の感想ですが、刈谷城は天守も無くダイナミックな石垣などといった遺構はありませんが、江戸時代の城の様子を色濃く残していると思います。その理由は亀城公園とその周辺を歩いてみると、堀や高低差、そして曲輪などの遺構が体感できるくらい残っているからです。
刈谷城の所要時間は、周辺の城下町散策と合わせて、長くても3時間くらいです。なので西側にある東浦町の緒川城跡や村木砦跡などとセットにすると良いと思います。たま個人的に蘇る刈谷城のDVDはオススメなので、郷土資料館を訪れた際には是非、チェックしてみて下さい。
コメント
[…] いもかわうどんがもとになったという説があります。しかも、いもかわうどんの発祥は愛知県刈谷市。徳川家康の生母・於大の方の実家である、水野氏の居城・刈谷城があるところです。 […]
[…] は、かつては海でした。今では埋め建てられて畑地になっていますが、東側は低くなっています。ちなみにこの海の向こうが現在の愛知県刈谷市で、水野氏の居城・刈谷城がある地です。 […]