徳川家康の先祖・松平親氏(徳阿弥)が入婿した酒井氏の丸山城址

刈谷市東境町に残る丸山城址は徳川家康の先祖・松平親氏(徳阿弥)が入婿した酒井氏の居城跡といわれています。現在では住宅地になっていますが高低差や鎌倉街道に近い立地などかつての城跡を偲ばせる要素がいくつか残っています。

■丸山城址の住所■

刈谷市東境町丸山20

>>丸山城址の場所の地図

徳阿弥(松平親氏)とは誰?

徳川家康は松平家の第九代目当主。その先祖で初代当主が松平親氏(ちかうじ)です。諸説あるものの関東から徳阿弥という旅の僧侶が酒井氏のもとにやってきて、還俗後して酒井氏の娘と結婚し一子をもうけます。それが酒井広親で酒井氏の先祖です。

その後、広親の母が亡くなったので親氏は酒井氏のもとを離れ賀茂郡松平郷(現在の豊田市)の在原信重のもとへ入婿して松平親氏を名乗ります。

酒井氏の郷は2つの説がある

ここで謎なのが酒井氏が勢力を持っていた酒井の郷。ひとつは吉良(西尾市南部)の酒井郷。もうひとつが今回紹介する丸山城を拠点とした現在の刈谷市東境町周辺です。

そして城跡

丸山城址は刈谷市東境町の集落みたいな一地区。田んぼに囲まれた住宅の集合地です。

近くに行ってみると地区は周辺より高くなっています。一番外側から明確に高くなっており、外側の田んぼは更に低くなってます。

そのまま地区の中心に向かって進んでいくと、どんどん高くなってます。これは私の仮説ですが、ここにあった丸山城は戦国時代の天守などの城ではなく、豪族の館で周辺に掘と土塁を巡らせたものだったのではないかと思います。

そしてこの高低差も重要で、周辺より高い位置にあると周りを見渡すことができます。また大雨が降っても水没しないのです。(もしくはしにくい)。現在の住宅開発で削られてはいるのでしょうけれど、中心にむかって高くなっている立地はかつての城跡を偲ばせます。

地区の周辺は田んぼ。当時も田んぼがたくさんあり、多くの米が収穫できた豊かな土地だったのでしょう。田んぼの向こうにイオンタウン刈谷が見えます。

酒井神社

丸山城址から北に約2.5kmほどのところには酒井神社があります。創建はいつ頃かよく分かっていませんが、丸山城周辺にあった酒井の郷の村社だったのではといわれています。

■酒井神社の住所■

刈谷市西境町本郷7−1

>>酒井神社の場所の地図

平成14年3月に刈谷市教育委員会によって建てられた現地案内板を見てみると酒井氏発祥の地の言い伝えが残っていることがわかります。

近くの鎌倉街道

酒井神社のすぐ近くを旧鎌倉街道街道が通っています。鎌倉街道とは鎌倉時代に作られたと考えられており、京都~鎌倉を結ぶ街道でした。現在で例えて言うなら当時の国道ですね。

ちなみに街道というと東海道を思い浮かべますが、東海道は徳川家康が江戸時代(1603~)に整備した道なので、戦国時代にはまだ東海道が有りませんでした。なので戦国時代のこの周辺の主要な街道は鎌倉街道なのです。

そう考えてみると、酒井氏発祥の地といわれている丸山城を含んだ酒井の郷も主要道路だった鎌倉街道近くなので、人やモノの往来も多く、米も豊富に取れた地なので豊かだったのではと思います。

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