戦国時代に西尾市を流れていた弓取川の堤防が残っている話

戦国時代と現代とでは川の流れが大きく変わっているケースが多いです。一宮市の木曽川も大洪水の後に流れが大きく変わりました。今回は西尾市に残る戦国時代の弓取川の堤防のお話です。

弓取川とは

弓取(ゆみとり)川とは矢作川から分流していた大きな川です。まず戦国時代の矢作川は現在の矢作古川でした。江戸時代になった慶長十年(1605)に徳川家康の命により米津清右衛門が現在の安城市藤井町あたりから西尾市米津町まで碧海台地を開削して現在の矢作川ができました。それまでの矢作川は今の矢作古川だったのです。

その矢作古川から分流していた大きな川が弓取川。しかし正保三年(1646)に閉塞され川は埋め立てられました。その存在を知る人は少なく、現在では幻の大河と呼ばれています。

そして現地

弓取川の堤防跡が残るのは西尾市今川町の白山神社近くの民家。民家の方のご行為で写真を撮らせて頂きました。地図を見てみると白山神社の南を弓取川が流れていたので、県道側が川の外になります。

弓取川の内側。埋め立てられて数百年経ちますが土塁(堤防)が残っているのはスゴいですね。ただ文化財等には指定されていないので、いつまでこの状態で残っているかはわかりません。

私の感想

戦国時代が好きな人は城や武将などにフォーカスしますが、地名や河川などもまた歴史の楽しさのひとつだと思います。特に西尾市でいば、現在の矢作川が江戸時代の開削でそれまでの矢作川は現在の矢作古川だった等、歴史を調べないと分からないことです。

でも西尾市に土地勘があったり住んでいる人にとっては、地元や日常の知識でもあります。この様な身近な歴史、つまり郷土史って生活に密着しているのが面白いですね。

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