碧南市称名寺は家康の竹千代命名、徳川家祖廟、秀吉が軍船を作った寺だった!

碧南市築山町2丁目にある称名寺(しょうみょうじ)は戦国時代に縁がある寺院です。そのポイントを4つ見てみましょう!

■称名寺の住所■

碧南市築山町2丁目66

>>称名寺の場所の地図

家康幼名の竹千代命名の寺

徳川家康は幼名(こどもの頃の名前)を竹千代といいましたが、これは称名寺で名付ける事が決まったといわれています。家康の父・松平広忠が称名寺で行われた連歌の会に出席した時、『めぐりはひろき園のちよ竹』と詠んだのがキッカケで嫡男に竹千代と名付ける事が決まったとか。

徳川家祖廟

称名寺は徳川家の前身・松平家初代の親氏(ちかうじ)が還俗する前に逗留していたといわれています。また松平清康(家康祖父)とモメた大樹寺の住職が籠もるなど、松平家とゆかりが深いです。

軍船製造の寺

文禄・慶長の役(朝鮮出兵)で豊臣秀吉が称名寺で軍船を作らせたといわれています。称名寺はかつて西側が海に面しており海辺の寺院でした。境内で作った軍船はそのまま西側の海から肥前名護屋城(佐賀県)に送られたのでしょう。

その西側は現在埋め立てられており道路、民家になっていますが、残っている高低差で当時の雰囲気を味わえます。私も以前、愛知県の城巡りコミュニティ・愛知ウォーキング城巡りクラブで称名寺を訪れた時、参加者の皆さんと西側(当時の海)から上がって参拝しましたが、陸地に登ることを実感できました。

家康を祭る東照宮

称名寺境内には徳川家康を祭る東照宮があります。大浜東照宮です。

東照宮とは

徳川家康の墓所であり神として祀る神社。「東から照らす神社」という意味。 家康の死後、息子の秀忠(ひでただ)によって創建された。 元和二年(1616)徳川家康が亡くなったあと、最初に作られたのが久能山(くのうざん:静岡市駿河区)に作られた東照宮。その後、江戸幕府が推奨したことなどもあり、最も多い時期で700以上の東照宮があったという。

明治以降、その数は減り、東照宮350年を機に結成された『全国東照宮連合会』によると加盟する神社は52(2023年6月現在)。石碑なども含めると今でも100以上の東照宮があるといわれている。 

私の感想

私の碧南市称名寺の感想ですが、ここは戦国史が好きな方は楽しめる寺院だと思いました。また歴史本など読んでいると松平家と深く関わっている寺院なので称名寺の名前はチラホラ出てきます。徳川家康や松平氏(松平元信など)に興味がある方は一度、参拝しておくのもよいでしょう。

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