先日、静岡県掛川市の掛川城に行った時のオハナシ。
天守台の横の石垣を何気に見てみると、色が違う石が積んである事に気が付きました。
ちょうど、ボランティアガイドの方がいたので、この色が違う石は何ですか?と聞いたところ、『ああ、これは幡豆石(はずいし)だよ』という、返事が。
幡豆石…
そう、これは愛知県西尾産の石だったのです。でもなぜ西尾の幡豆石がココにあるのか?その理由は400年以上前にもさかのぼります。
西尾ってココ!
この幡豆石が採れた愛知県西尾市は、かつての西三河南部の地域です。もともと西尾市、一色町、吉良町、幡豆町という別の市町だったのですが、2011年に合併して大きな西尾市になりました。
さて、この西尾市ですが、実は昔から良質の石の産地だった事が分かっています。
加藤清正のお気に入り
まずは名古屋城大天守の石垣は、築城の名手である加藤清正が築いたものですが、清正はこの大天守の石材を三河湾に浮かぶ離島・篠島(しのじま)から調達したことが分かっています。
篠島は西尾市の南にある離島。清正はここから名古屋城大天守の石垣の石材を運びこみました。
現在も篠島には、加藤清正が石材を切り出した石切り場や、楔(くさび)の痕が残った巨石が残っており、ここで作業していたという事が分かっています。
本土から離れた離島ですが、それでも良質の石が採れるということで、篠島から調達したのでしょう。
西尾城の天守台も幡豆石
さらに現在再建が進む西尾城の天守台の石も地元産、つまり幡豆石が使われています。地元だからというのもあると思いますが、天守の石垣に適した石という事は、名古屋城でも実証済みですね。
ということで掛川城の石垣に戻りますが、掛川城は静岡県なので、西尾市は地元ではなくあえていうなら県外。
でも天守台の石にふさわしいという事で、一部分ではありますが、西尾産の幡豆石が採用されたのでしょう。
おそらく地質とか、そういう事で良質の石が産出されたのだと思いますが、今後も天守が再建される城の石垣に、西尾産の幡豆石が採用されるかもしれませんね。