西尾市西幡豆町の安泰寺は、松平清康の夢判断をした摸外和尚が開いた寺で、徳川家康の鎧かけの松が残っています。
■安泰寺の住所■
西尾市西幡豆町講伏14
安泰寺には次のような話が伝わっています。松平元康(後の徳川家康)が三河統一を目指して各地を転戦していた頃、見回りで西幡豆の地を訪れました。その時、家臣から摸外(もがい)和尚が開いた寺があると聞き、安泰寺を訪れたのです。
安泰寺の山門には大きな松があり、元康はそこに鎧(甲冑)をかけて、安泰寺の中に入りました。摸外和尚は元康の祖父・松平清康の夢判断を行った僧侶で、すでに亡くなっており安泰寺には摸外和尚の木像がありました。
元康は家臣から夢判断の話を聞き、三代のうちに天下を取る人物が松平家から出るという夢判断に喜びましたとさ。これが安泰寺に伝わる話です。松平元康(後の徳川家康)が三河統一に奔走していた頃の西幡豆は、家臣で寺部城や欠城の小笠原氏が治めており、もしかすると小笠原氏も家康と共に安泰寺を訪れたのかもしれません。
これが徳川家康が鎧(甲冑)をかけたといわれる鎧かけの松(の残り)。昭和34年(1959)の伊勢湾台風により倒れてしまい、現在では一部が枯れた状態で残っています。
境内に入ると、徳川家康の逸話が昔話として紹介されています。お寺の方に聞いたところ、この逸話は地元の西幡豆では有名な話として伝わっているそうです。
境内の看板にある寺宝(西尾市指定文化財)の説明版。家康愛蔵品と伝わる椰子実水飲(やしのみみずのみ)・金紫銅之水容(きんしどうのみずいれ)が伝わっています。一般には非公開ですが、西尾市公式サイトから画像を見ることができますよ。
私の感想ですが、安泰寺は三河時代の家康のエピソードが残っているので、家康が好きな人は要チェックの寺だと思います。しかし寺宝は見学不可で、鎧かけの松を見るのがメインなるんですけど、所要時間は参拝も含めれば10分あれば十分だと思います。そこでセットにしたいのが小笠原氏の寺部城や小笠原氏が松平元康に敵対していた頃、松平軍を敗走させた走り付け古戦場です。
これらの史跡をセットにする事によって、史跡巡りもグッと充実すると思います。