なぜ西尾市行用町に徳川家康が鷹狩りで休息した石があるのか?その理由

西尾市行用町に徳川家康が鷹狩りの時、休憩したといわれる石があります。それが石橋山福泉寺です。なぜ家康は現在の西尾市で鷹狩りをしていたのか?その理由と実際の現場を訪れてみました。

■石橋山福泉寺の住所■

西尾市行用町西屋敷53−1

>>石橋山福泉寺の地図

境内に残る石橋

境内に入ると本堂の横に石碑付きの石があります。それがこの三河太守源家康鷹野陣址の石碑。ここで気になるポイントは、三河太守とあるので永禄三年(1560)の桶狭間合戦後、三河を統一した後に行われた鷹狩りなのでしょう。

また私の仮説ですが、鷹野陣址と刻まれているので鷹狩り時の本陣みたいな場所だったのではないかと思います。

石碑の裏側にも次のような文字がありました。御遺跡東照家康公御休息の石橋。現在では普通に石ですが、かつては石橋だったのでしょうか。そうえいばこの福泉寺の山号(さんごう)も石橋山なので、もしかするとこの家康が腰掛けた石橋由来なのかもしれません。

実は鷹狩りの人気スポット!

実は現在の西尾市は戦国時代、吉良荘(きらのしょう)と呼ばれ、人気の鷹狩りスポットでした。織田信長の一代記・信長公記にも吉良で鷹狩りをした記録がありますし、秀吉や家康も吉良(西尾市)で鷹狩りを何度も行っていた記録があるのです。

この信長、秀吉、家康の鷹狩りについては、西尾歴史愛好会制作の徳川家康ゆかりの地西尾にも詳しくリスト化されて載っています。

私の感想

私の感想ですが、現在の西尾市での鷹狩りの遺構ということで、この家康の腰掛け石は貴重だと思いました。そうえいば令和五年(2023)のNHK大河ドラマ・どうする家康でも織田信長(岡田准一)徳川家康(松本潤)が鷹狩りを行っていたシーンがありました。もしかするとそれがここ?と想像してしまうスポットでもあります。

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