西尾市寺津町の寺津城址は戦国時代に吉良氏、徳川氏に仕えた大河内(おおこうち)氏の拠点だった城です。また「知恵伊豆」こと老中・松平信綱の大河内松平家は寺津城の大河内氏から分かれた一族です。
城の規模
寺津城趾の石碑の裏には、かつての寺津城の規模について書かれています。
・東西約四十間(72.4m)
・南北約五十間(90.5m)
※一間1.81mで換算
大正二年(1913)に建立された石碑です。
かなり高い土塁跡
石碑の裏に行くと高台があります。もしかして寺津城の櫓台跡?と思ってしまうくらいの高さです。愛知県中世城館跡調査報告には土塁と記載されています。ということは、この規模の土塁が曲輪の周辺を取り巻いていたということですね。今では一部しか残されていませんが、寺津城の見どころです。
寺津城の西側は緩やかに下っています。そのまま行くと平坂入江でその向こうが矢作川です。明治二十一年(1888)の地図では、平坂入江と矢作川の間(現在の西尾市港町、南奥田町、奥田町、小栗町あたり)は、すでに田んぼになっています。でも新田として開発されたと考えれば、それ以前は川だったのかもしれません。
寺津八幡社
寺津城址の北の寺津八幡社は大河内顕綱(あきつな)が創建した神社です。石碑があります。
気になる字名
寺津城址周辺を見てみると城郭関連地名と思われる字名が残っています。まず寺津城跡の石碑がある場所が御屋敷。そして周辺には北馬場、南馬場、西市場の地名が残っています。
所要時間と私の感想
寺津城址の所要時間は土塁跡と石碑、地形を見て歩いて寺津八幡宮行くくらいなので20分もあれば十分でしょう。私の感想ですが、寺津城址は土塁が残っているだけでも嬉しかったです。また松平信綱や華陽院など、歴史に残る人物ゆかりの城というのが興味深かったです。