東京の南の島・小笠原諸島は戦国時代に現在の愛知県西尾市幡豆町の土豪・小笠原氏の一族が発見されたという説があります。それが理由で小笠原諸島という名前になったとか。ではなぜ西尾市幡豆町の土豪が有名な小笠原諸島を発見したのか?詳細を簡単に説明します。
地元ではこの様になっている
幡豆寺部城の看板にはこの様な記載があります。
小笠原諸島は文禄二年(1592)に小笠原貞頼が発見したことにちなんで名づけられたものといわれています。貞頼は、幼少のころから寺部城に寄寓し、かなり長い期間ここを本拠としていました。貞頼の実在性を疑う説もありますが、文献や諸書に見られるものを総合すると、
●永禄七年(1564)父・長隆とともに幡豆寺部城に奇遇する
●元亀元年(1570)武田軍に対して高天神城を守る
●天正十八年(1590)北条氏との戦い小田原の陣で戦功をあげる
●文禄元年(1592)秀吉の朝鮮出兵のとき軍検使をつとめる
●文禄二年(1592)家康の許しを得て何回に渡航し小笠原島を発見する
小笠原氏は現在の西尾市幡豆町の土豪で、最初は桶狭間合戦後に岡崎城で今川氏から独立した松平元康(後の徳川家康)と敵対していました。松平軍とも戦い、1度敗走させています。
その後、松平元康こと徳川家康に従い各地を転戦。関東移封にも付いていき、そこで無人島を発見したというわけです。また西尾市資料館は発行の冊子・西尾の中世城館~わが町と城館~で次のように述べています
小笠原諸島はここ
小笠原諸島のざっくりとした地図です。個人的に思うのは当時の手漕ぎ船で本土から1千キロも離れた島をよく発見したなということ。もしかして漂流したんじゃないの?そんな印象もあります。
まとめと私の感想
まとめですが、小笠原諸島を発見したのは西尾市寺部城主の小笠原氏一族ということですが、別の説もあり、よく分かっていないのが現状です。しかし小笠原氏は水軍を持っており、航海術には長けていたので、この説も全く無理な話ではないはず。
今後、この小笠原諸島発見の歴史がどの様に変わるかわかりませんが、西尾市幡豆町の寺部城主・小笠原氏の一族が発見したという説があるのを覚えておいてください。