駿河の今川義元。
桶狭間の戦いを解説する時、必ずと言っていいほど、そんな紹介をされますねよ。
確かに今川義元は駿河国(現在の静岡県東部)の生まれなのですが、今川氏は駿河発祥の戦国大名ではありません。
ではどこか?
それが現在の愛知県西尾(にしお)市です!
西尾市は西三河南部に広がる市で、2011年4月に
西尾市+一色町+吉良町+幡豆町=(新)西尾市になりました。
有名なもの(歴史的含む)は次の通り
・抹茶(大茶会がギネスに載った)
・吉良義昭の東条城がある
・西尾城がある
・忠臣蔵で有名な吉良義央の領地(地元では名君)
・吉良義央が領民のために一晩で築いた黄金堤がある
・小笠原諸島を発見した(といわれる)小笠原氏の居城・寺部城がある
・賤ヶ岳七本槍のひとり加藤嘉明の生誕地(異説アリ)
・家康の祖母・華陽院の実家(養女とも)の大河内氏の拠点・寺津城がある
など。
細かいものを上げるともっとあり、キリがないのでこの辺で。
さて、そんな西尾市ですが、なぜここが今川氏の発祥地なのかというと、話は承久の乱(じょうきゅうのらん:1211年)までさかのぼります。
今川氏は源義家を祖とし、承久の乱後、足利義氏がその功績で三河を収める事になった時の事、息子たちに所領を分けました。
その後、国氏が今川荘をもらい、今川四郎国氏と名を改め、今川氏の祖となりました。そしていろんなことがありましたが駿河に拠点を移し、戦国時代になって有名になるのです。
なので今川氏の元をたどると三河、現在の愛知県西尾市にたどり着く訳です。
そんな今川氏の館跡が残っています。
■今川氏館跡の住所■
西尾市今川町土井堀17
現在の西尾市立西尾中学校の南側にあり、現在はちょっとした公園となっていますが、愛知県教育委員会の調査の結果では、南側の諏訪神社も館跡の可能性があるとの事です。
今では公園内に石碑や案内板が建っています。
そして私の感想ですが、個人的に思うのは、この今川館周辺に残る字名が、非常に興味深いものがあるんです。例えば次の通り。
・土井堀(土塁と堀)
・東堀
・城崎
・郷前(集落もしくは城下町前?)
・馬捨場(ここで下馬した)
など。
これらの字名は、今後、もっと調査も必要ですが、城址によく見られる字名なので、この今川館も関連性があるのでしょう。
周辺には館跡の遺構など残っていませんが、今川氏発祥之地の石碑が建っているだけでも嬉しいですね。
ところでこの今川氏が三河発祥という事を意識してみると、桶狭間合戦の以前、今川氏が三河に侵攻してきますが、今川氏的には、
『いや、三河はもともとうちの領地なんだけど』
みたいに思っていたのではないでしょうか?
だから織田とか松平とか三河に勢力を伸ばしますが、今川的には、
『うちの領地でなにやってんの(怒)!』みたいな感覚だったのかもしれません。
ということで、西尾市の有名人は吉良上野介義央だけではなく、今川氏も忘れてはイケマセンね。