西尾市今川町の今川氏発祥の地は戦国時代に駿河(静岡県東部)に勢力を持っていた今川氏発祥の地です。桶狭間合戦で討たれた今川義元の今川氏が誕生した場所といえば分かりやすいでしょうか。
■今川氏館跡の住所■
西尾市今川町土井堀17
なぜ今川氏発祥の地が三河にあるの?
なぜここが今川氏の発祥地なのかというと、話は承久の乱(じょうきゅうのらん:1211年)までさかのぼります。簡単に説明すると以下の通り。
(1)承久の乱後、足利義氏がその功績で三河を治める事になった
(2)土地がたくさんあるから息子たちも所領を分けた。
・西条城を築き長男・長氏を西尾城主に。
・次男・泰氏は足利氏の嫡流を継がせた。
・三男・義継に東条城を築き与えた。
(3)長氏の息子・国氏が今川氏を名乗り今川家の祖となった
(4)その後今川氏は駿河に拠点を移し戦国時代になって有名になる。
つまり戦国時代に有名な駿河の今川氏は、もとは室町幕府を開いた足利氏の一族で、三河で発祥して駿河で大きくなったと考えれば分かりやすいです。その発祥の地が西尾市今川町です。
西尾市ってどこ?
西尾市は西三河南部に広がる市。2011年4月に平成の大合併で大きくなりました。西尾市+一色町+吉良町+幡豆町=(新)西尾市です。
有名なもの(歴史的含む)は次の通り
・2006年に大茶会を行いギネスに載った
・吉良義昭の東条城がある
・西尾城がある
・忠臣蔵で有名な吉良義央の領地(地元では名君)
・吉良義央が領民のために一晩で築いた黄金堤がある
・小笠原諸島を発見した(といわれる)小笠原氏の居城・寺部城がある
・賤ヶ岳七本槍のひとり加藤嘉明の生誕地(異説アリ)
・家康の祖母・華陽院の実家(養女とも)の大河内氏の拠点・寺津城がある
など。細かいものを上げるともっとあり、キリがないのでこの辺で。
そして現地
現在の西尾市立西尾中学校の南側に今川氏發跡地(今川氏発祥の地)があります。現在はちょっとした公園となっていますが、愛知県教育委員会の調査の結果では、南側の諏訪神社まで館跡だった可能性があるとの事です。
現地に建つ西尾市教育委員会の石碑。以下の様に刻まれています。
承久の乱(1221)後、足利義氏が三河国の守護に任ぜられた。 義氏の嫡子・長氏は、義氏が足利へ帰った跡式を継ぎ、吉良荘にちなんで吉良氏を名乗った。吉良家は二代満氏へと伝えられた。 今川荘は長氏が少年時代に義氏から装束料として贈られた地で、長氏は次子・国氏へと伝えた。国氏は荘名の今川を名字とし、今川氏の祖となった。今川の地名は荘名の名残りと伝えられる。
昭和五十一年(1976)一月 西尾市教育委員会
今川貞世の供養塔
公園内に建つ今川了俊(今川貞世)の供養塔。今川貞世は駿河・遠江 (とおとうみ) の守護。応安四年(1371)に九州探題となり南朝勢力を制圧し九州に幕府権力を確立した人物です。
周辺の地名に萌える
そして私の感想ですが、個人的に思うのは、この今川館周辺に残る字名が、非常に興味深いものがあるんです。例えば次の通り。
・土井堀、桜堀、東堀(土塁と堀)
・城崎
・郷前(集落もしくは城下町前?)
・馬捨場(ここで下馬した)
など。これらの字名は、今後、もっと調査も必要ですが、城址によく見られる字名なので、この今川館も関連性があるのでしょう。
今川義元の主張
ところでこの今川氏が三河発祥という事を意識してみると、桶狭間合戦の以前、駿河の今川氏が三河に侵攻してきますが、今川氏的には『三河はもともと、うちの領地なんだけど』みたいに思っていたのではないでしょうか?
だから織田とか松平とか三河に勢力を伸ばしますが、今川的には、『うちの領地でなにやってんの(怒)!』みたいな感覚だったのかもしれません。ということで、西尾市の有名人は吉良上野介義央だけではなく今川氏もお忘れなく。