西尾市幡豆町にある中之郷古墳は5世紀後半の古墳といわれていますが、戦国時代やそれ以前、このすぐ側に城がありました。それが小笠原氏の欠城(磯城、幡豆城とも)です。
■中之郷古墳の場所の住所■
西尾市西幡豆町中野郷
今でも古墳
中之郷古墳の上には天王社が祀られていますが、古墳のすぐ側に入ることができます。
由来によれば、穴観音は、江戸時代の明暦年間(1655~58)に、中之郷古墳が発掘され、古墳から発見された高さ30センチ程の観音像(木像)を村人が堂宇にまつったものである。
この観音像は、小笠原民部丞左衛門(みんぶのじょうざえもん)の持仏であったとも言い伝えられ、また、ここから海にくだる道には民部坂の名が残っている。さらに、この南西に隣接する地域には、かつて小笠原氏の居城、磯城(幡豆城)があった。
中之郷古墳の築造は、最近の調査で5世紀後半であろうといわれている。横穴式石室をもつ古墳としては、西三河最古のものの一つで、北九州から海路による文化伝播であろうと考えられている。 古墳からは、太刀や馬具、それに銅鏡2面と人骨などが発掘されている。
民部坂と字市場
中之郷古墳の看板にあった民部坂(みんぶざか)。この地域の領主だったと思われる小笠原民部丞左衛門(みんぶのじょうざえもん)から付いた地名です。住宅地から海(三河湾)へ下る坂にあります。
中之郷古墳すぐの場所には市場という字名が残っていました。この市場という地名ですが、城跡近くにある場合、かつての城下町だった場所に残っているケースが多いです。現在では住宅地になっていますが、海岸線から見ると高台にあり、かつては市が開かれた場所だったのでしょう。
私の感想ですが、中之郷古墳は現在でも普通に古墳としての史跡なのですが、民部坂や字市場という気になる地名が残っているのが興味深かったです。また古墳の高台を利用して築城した事例もあるので、もしかすると中之郷古墳も城の物見台など城の一部だったのかもしれません。