安城市三河岩根城は豊臣秀吉の家臣で賤ヶ岳七本槍のひとりに数えられる加藤嘉明が生まれた城と言われています。加藤嘉明といえば日本100名城にも認定されている愛媛県の伊予松山城を築いた人物です。そんな安城市三河岩根城の現状をレビューしてみました。
■岩根城址の住所■
安城市小川町岩根141
加藤嘉明とは誰?
加藤嘉明(かとうよしあき)とは、戦国時代に豊臣秀吉(羽柴秀吉)に仕え大名となった武将。秀吉が柴田勝家を破った賤ヶ岳の戦いで功を上げ賤ヶ岳七本槍のひとりに数えられます。
築城は伊予松山城(愛媛県)を築いた人物で後に会津藩43万5,000石に加増されて若松城に本拠を移しました。その加藤嘉明の生誕地は愛知県西尾市にあるものの、安城市岩根城址も生誕地説が残っているのです。
加藤嘉明の生誕地は西尾市上永良町という説もありますが、安城市側は岩根で生まれたという説を支持。平成26年には地元ゆかりの戦国武将ということで安城市歴史博物館にて加藤嘉明展も開催しました。
まずは公園
まずは安城市小川町の岩根ちびっこ広場に行ってみます。すると公園入口に看板があります。
安城市によると、岩根城の築城は鎌倉時代半ばだそうな。
もっと詳しい看板
さらに岩根ちびっこ広場から北に60mほど行った場所に岩根城についての詳しい看板があります。
鎌倉時代に加藤正成が築城したと伝わる城館です。 東西・南北ともに70間(およそ127m)ほどあり、北・西・南に土塁(土居)と堀があったとされています。 平成25年(2013)の発掘調査では、南西の堀が確認されました。
堀は幅4.7m以上、深さ2.8m以上で、おもに江戸時代の遺物が出土しましたが、戦国時代の土師器(はじき)や陶器も発見されました。 このほか、これまでの調査では、室町時代から戦国時代を中心とする遺構が確認されており、いずれも岩根城に関わるものとみられます。
郷土の文化財を大切にしましょう 安城市教育委員会
かつての岩根城
現地案内看板より。左は明治十七年(1884)地籍字分全図を土地利用の違いにより色分けしたものです。右は明治二十一年(1888)小川村村誌に納められた岩根城絵図。これによりかつての岩根城の様子がよくわかります。
そして再現
グーグルマップで岩根城址を再現してみるとこんな感じです。館の周辺に堀と土塁を巡らせ東の鹿乗川は天然の堀だったのでしょう。道もほぼ古地図や地籍図の様に残っています。
発掘された堀
現地案内看板より。南西の堀跡です。堀を水田としていたみたいです。
所要時間と私の感想
安城市三河岩根城址の所要時間は、現地看板に沿って城址をぐるっと周ると20分くらいかかります。私の感想ですが、楽しめるポイントは2つあると思いました。ひとつは有名戦国武将である加藤嘉明の生誕地。もうひとつは中世城館の区画の様子がよく残っており、その規模を歩いて体感できるという点です。
また近くには本證寺をはじめ石川数正ゆかりの小川城址など史跡もあるので、セットで訪れるとより楽しめると思います。