安城市の小川城跡は、戦国武将石川数正、石川家成ら石川一族ゆかりの城跡です。家康の家臣だった石川数正、石川家成の石川氏のルーツを調べると、三河発祥ではなく河内国(大阪府)です。
その後、石川氏は関東に下り、石川康政が下野国(しもつけこく:現在のほぼ栃木県)で本願寺蓮如に会い、一緒に三河にやってきてこの地に勢力を持つようになりました。その子孫が石川数正と家成です。その石川一族の三河での本拠地、つまり居城が小川城なんですね。だから小川城は石川数正の生誕地と考えられています。
ちなみに2016年NHK大河ドラマ・真田丸では俳優の伊藤正之さんが石川数正役でした。また令和五年(2023)同じくNHK大河ドラマ・どうする家康では松重豊さんが石川数正を務められます。個人的に松重豊さんは孤独のグルメの印象が大きいんですけどね。
さて、そんな石川数正が生まれたと考えられる小川城は、現在では城址だけで周辺は住宅地として開発されているので遺構などは残っていませんが、見ておきたいポイントがいくつかあるのでチェックしてみましょう。
石川氏ゆかりの3カ所
今回の城巡り散策は安城市小川町周辺。ここで3つの城址と史跡をチェックします。
- 小川城跡
- 的場(砦跡)
- 石川康政の墓
これら3つの史跡は歩いて散策できるので、車で訪れる場合、駐車できる場所に車を停めて歩いたほうが効率的です。では順番にチェックしてみましょう!
小川城跡
石川氏の居城だった小川城跡は、現在、安城市小川町的場丘にある本城公園になっています。公園の名前がすでに城址ですね。
周辺は思いっきり公園で、グランドなどもあります。お城の雰囲気ゼロ!かと思いきや、公園の片隅に木が茂った場所がありますね。
少し高台になっています。もしや城の高低差の跡?なんて期待もしましたが、公園化されているので、その時の土盛だと思います。お城の遺構などではないですね。でもあきらめて帰るのはまだ早いです。高台の上にある休憩所みたいな場所を見てみると…
なんと休憩所のベンチの横の壁に小川城についての石碑が埋め込んであります。これってベンチに座った状態では見えず、外から見える石碑なんです。見落としがちですが、城の手がかりを知る貴重な石碑ですね。
的場(砦跡)
本城公園から北に300mくらい歩いた場所に的場公園があります。ここは小川城の的場といわれ、弓矢の訓練場だったとも伝わります。
また小川城の支城、もしくは出曲輪(出丸)、砦跡という説がある場所です。現在ではここも公園となっていますが、的場の地名が城ゆかりの雰囲気を残します。
思いっきり公園で遺構は無いです。
住所は的場丘7。
石川政康の墓
石川康政は三河石川氏の祖で、この人が関東(下野)から三河にやってきて、三河石川氏の基盤を作りました。墓所は本城公園(小川城跡)から歩いて3分の蓮泉寺にあります。
私の感想
私の感想ですが、今回紹介した3つの石川氏の史跡は、三河時代の石川氏を偲ぶ場所だと思います。例えば石川数正といえば徳川家の重臣でありながら、徳川氏を裏切り羽柴(豊臣)氏に走った武将、または現在国宝となっている長野県の松本城の基礎を築いた人物としては知られています。
しかし三河時代の頃の石川数正、石川家成の事はあまり知られておらず、安城市ゆかりの戦国武将としても知名度が低いです。
マイナーではありますがこれらの史跡を知ることで、三河時代の数正、家成をはじめとする石川氏の歴史のルーツを知ることもできると思います。